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震災から15年目、一区切りとしての『ハートフルサッカーin東北(岩手・福島)』を実施

浦和レッズ ハートフルクラブは、10月21日(火)~25日(土)の5日間、岩手県の上閉伊郡大槌町・下閉伊郡山田町、そして福島県楢葉町のJヴィレッジを訪問。キャプテンの落合 弘をはじめとするコーチ陣による小学校授業サポート、保育園や幼稚園児対象のレッズキッズサッカー、少年団や町役場職員等とのサッカー教室、各首長と教育委員会への表敬訪問など、計14のプログラムを実施。
2011年の東日本大震災を契機に続けられてきた『ハートフルサッカーin東北』は今年で15年目。今回の訪問は、震災後から続けてきた同プロジェクトの「一区切り」として位置づけられ、改めて15年分の感謝を伝える機会となった。



ハートフルクラブは、「こころ」を育むことをテーマに、サッカーというスポーツを通じ、より多くのコミュニケーションを生むための活動。サッカーの技術以上に、「おもいやり」「楽しく」「一生懸命」という“三つのこころ”を、体験を通じて学ぶことを目指している。

「ハートフルサッカーin東北」の活動が始まったのは、東日本震災発生直後の2011年7月。当時のジュニアアカデミーコーチ内舘秀樹(現・アカデミーダイレクター)の祖父母のかつての家があり、内舘が幼少期によく訪れた地であった、岩手県山田町との縁をきっかけに、当時支援が届きにくかった岩手県の被災地から活動がはじまった。
以来、「未来への赤い架け橋プロジェクト(旧 東日本大震災等支援プロジェクト)」の一環として被災地の子どもたちへ、毎年サッカーを通じて「こころのケア」を行なってきた。



これまで、岩手県および福島県を30回訪問、保育園・小学校・中学校・少年団、さらに町役場職員や地域の大人とも一緒に汗を流し、多くの方々との交流が生まれた。毎年再訪することで、子どもと学年をまたいで「再会」する機会、そして先生や保護者・地域の方々とも顔の見える関係性となっていった。

そのように活動を重ねてきた15年の間に風景は大きく変わった。仮設の住宅や園舎・校舎は新たに生まれ変わり、未舗装の空地は防災機能を備えた広場へ、土のグラウンドは人工芝へ。沿岸エリアには巨大防潮堤が建てられた。
月日が経つ中で、活動の目的も少しずつ変化し、当初の「心のケアを目的とした支援」の活動から、近年は「仲間としての交流」へ意識が変化。その中で、被災直後の子どもたちはなかなか声を出して元気に動く姿が見られなかったというが、今の子どもたちはすっかり笑顔でいっぱいに。

そういった中で、今年の東北訪問をもって、震災復興支援プロジェクトとしての『ハートフルサッカーin東北』を一区切りとすることとした。


2016年(左)と2025年(右)の大槌町の様子


2015年(左)と盛り土をしている2016年(右)の山田町の様子


すっかり街の様子を取り戻した今の山田町


復興により、再び開通した三陸鉄道

今回の遠征は、10月21日から25日までの期間に、岩手県の大槌学園、、おおつちこども園、豊間根小学校、吉里吉里小学校、山田小学校・中学校、地元の少年団、そして両町の役場を巡り、最終日に福島県のJヴィレッジを訪問。

活動はこれまで、そして埼玉での活動同様、実技だけでなく、「こころ」を大切にすることが中心。実技に先立ち、キャプテンの落合 弘が、講話を行った。幼少期の苦労の話、日本サッカーの祖クラマー氏から学んだこと、ブータンのハートフルサッカー活動など、様々な体験を通じた学びを伝える講話のなかで「一生懸命」「おもいやり」「楽しく」のこころを共有。45分の講話に、子どもたちはみな熱心に耳を傾けた。


その後は、ハートフルクラブコーチと、今回参加した興梠慎三と講話の内容をもとに実技(サッカー)を実施。子どもたち、そして大人たちが懸命に声を出し、目を合わせ、プレー後にまた言葉を交わす—そんな風景が、それぞれの場所で繰り広げられた。







プログラム終了後グラウンドを離れる際に、参加してくれた子どもや先生、保護者より、これまでの交流に対し温かい言葉をかけてもらい後にした。おおつちこども園園長の八木澤弓美子さんは、振り返りの場で、「2011年、園舎も全壊し、未来も想像できない日々でした。そんな時に出会ったのが浦和レッズハートフルクラブ。あの日から始まった交流は、こどもたちの心に根付き、「一生懸命」「おもいやり」「楽しく」という三つの言葉は、私たち保育者にとっても最強で最高の指標になりました」と語ってくださった。





大槌町の平野町長からは、「震災の後年からご支援いただき、今年で一区切りと伺い、少し残念ですが、本当にありがとうございました。子どもたちがサッカーを通じて健全に育つこと、そのプロセスで皆さんに支えていただいたことに感謝しています。訪問が子どもたちの人生に少しでも良い影響を与え、将来何かを思い出すきっかけになれば嬉しい。みなさんの活動が町民に知られるよう、私たちも発信していきたい。」という前向きな言葉をいただいた。



スタッフとして帯同した興梠慎三は今回の活動を振り返り、「2013年に選手として1回来たのですが、その時に比べ、被災にあったところ、徐々に街の姿に戻ってきているのかなと感じました。子どもたちと触れ合って、本来は自分たちが元気をあげる立場ですが、何か子どもたちから笑顔をもらって、逆にこちらが元気をもらいました。すごく充実した時間でしたし、子どもたちと触れ合えて、本当に楽しい時間でしたね。」と話した。





浦和に加入した2013年に訪問した際の興梠(左)

震災直後から訪問を続けてきた、ハートフルコーチの神野 真郎は「震災直後から毎年越させてもらっていたので、寂しさはあります。けれども、この15年で出会えたたくさんの皆さんもいますし、子どもたちとも出会い、とても良い関係性、つながりを持てたと思っています。

震災直後の夏に来た時に、どんなメッセージを伝えたらいいのかと悩んだのですが、やっぱり子どもたちに、このハートフルの活動に参加している時間だけは、何か不安なこととか、そういったものを少しでも忘れて、元気な笑顔が見たいなというおもいがありました。

そういった取り組みを続けていけば、多分見ている保護者の方だったり、見ている方も少しは安心すると思いますし、僕らの活動を通して子どもたちが笑顔になって、周りの大人たちもまた笑顔になって、という、そういう光景が見たいなっていうおもいがあった中で、ずっと続けてこられたことを嬉しく思います。」と目を潤ませながら語った。


計30回の訪問の中で、出会った子どもたちや地域の方々は延べ6,400人以上。
「ハートフルサッカーin東北」の活動は一つの区切りを迎えるが、沿岸地域の少年団を中心に開催している「浦和レッズ杯山田町ハートフル少年サッカー大会」については、「交流と成⾧」の一環とし、浦和レッズジュニアチームを中心に今後も参加を継続。引き続きハートフルクラブも携わりながら次世代を担う子どもたちの交流の場、サッカー技術の向上、地域活性化を目的に継続していく。

浦和レッズ ハートフルクラブは、東北で学んだことを埼玉の日常やこれからの交流につなげ、これからもサッカーで「こころを育む」活動を続けてまいります。











【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

参考リンク
2011年7月ハートフルサッカーin東北特集(ウラチャン 8月放送分)
https://www.youtube.com/watch?v=KmTBSIlBcVI

ハートフルサッカーin東北の活動について
https://www.urawa-reds.co.jp/heartfull/#heartfull_soccer_in_tohoku

【動画】東日本大震災から15年目…一区切りとなる「ハートフルサッカー in 東北」に興梠慎三らが参加
https://news.line.me/detail/oa-urawaredsnews/1waea3x91zli

ハートフルクラブ20年の軌跡 ~ハートフルサッカーin東北~
https://youtu.be/hlJ6L0PnfyQ




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