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コラム「16年前の今日(8月16日)」

1995年8月16日(水)、浦和レッズのホームスタジアムが、駒場スタジアムとしてリニューアルオープンした。
レッズが浦和をホームタウンとしてJリーグ入りすることが決まってから、1993年5月の開幕を前に、駒場競技場はJリーグ仕様に改修された。しかし1万人が入場の限界で、チケットは常に発売開始と同時に完売。毎試合、スタジアムの外には、フェンスの隙間からでも試合を見るために、あるいは雰囲気だけでも味わうために、チケットを持たないファン・サポーターがあふれていた。
ホームタウンの人たちにもっとレッズを見てもらうために、浦和市は再度のスタジアム改修を決めた。1994年第1ステージ最終節6月15日を最後に、翌年の第1ステージ終了までレッズは駒場を離れ、大宮サッカー場にホームスタジアムを移した。その約1年間で行なわれた改修の結果、バックスタンドが2階建てに、ゴール裏は芝生席から手すり付きのコンクリート仕様になり、収容人数は2万1,500人と、それまでの約2倍になった。西側ゴール裏には大型電光ビジョンも設置された。

リニューアルオープンは1995年第2ステージ、ホーム開幕の日、第2節8月16日の清水エスパルス戦と定められた。第2ステージ開幕戦をアウェイで迎えたレッズは12日(土)、長崎で行なわれた横浜フリューゲルスとの試合に6-0で大勝。この年の第1ステージを、チーム最高の3位で終えたレッズにとって、次の高みを目指すのに最高のスタートだった。
当日、新しい“我が家”に入ったファン・サポーターたちがスタンドから見たものは、赤いピッチだった。新しいピッチが赤い布で覆われていたのだった。準備段階では風が強く、セットした布がめくれて大変だった。しかも、その後大雨になり、布は水を吸って重くなったが、多くのボランティアスタッフの手により、両側に引かれてきれいな緑の芝が現れると、センターサークルには「COME HOME」の文字。1年ぶりにホームスタジアムに帰ってきたことを祝った。
試合は前半3分、後にJリーグ得点王に輝いた福田正博が18点目を挙げて先制。しかし後半2点を失い清水逆転負けした。結果は残念だったが、この年お目見えしたデカ旗や小旗を使ったビジュアル的な応援が可能になり、以前より声の反響が良くなったスタジアムは、ファン・サポーターに大きなモチベーションとなった。
そして、毎回2万人近くで埋まる駒場スタジアムで、多くのドラマが生まれていったのだった。

ちなみに、収容力が2倍になっても、チケットの発売開始即完売の傾向は変わらなかった。また、この日ピッチを覆った赤い布を小さく切って「COME HOME」のスタンプを押し、記念品としてレッドダイヤモンズ後援会が販売した。収益は、サポーターが応援のために使う紙テープの購入費用に当てられた。

【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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