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コラム『大量点で初の3連勝』
15年前の4月15日、浦和レッズはクラブ史上初めてリーグ戦で3連勝した。
Jリーグ開幕後、2シーズン連続年間最下位という汚名を返上し、『勝てるチーム』へ躍進した1995シーズンだったが、スタートは順調とは言えなかった。開幕戦を落とし、第2節こそホームで勝ったものの、第3節から4連敗。中には拮抗した内容の試合もあったが、勝った第2節の清水戦で後半27分にウーベ・バインが得点したのを最後に4試合連続無得点では如何ともし難かった。
4月8日の第7節は大阪長居第2陸上競技場でJリーグに昇格したばかりのセレッソ大阪と対戦。90分を終えて0-0、延長前半も点が入らず、また無得点試合かと思われた延長後半5分に福田のVゴールが飛び出し、5試合ぶりの得点と勝利を挙げた。続く4月12日の第8節も延長。当時首位の横浜マリノスと2-2のあと、延長前半14分にバインがサヨナラ弾を放った。
そして4月15日の第9節は、3試合ぶりに当時のホーム、大宮サッカー場に昇格組の柏レイソルを迎えた。2連勝で勢いに乗るレッズは、守備を固めたカウンター戦術を徹底しゴールを重ねる。前半22分にバインが先制、37分に福田正博が追加点を挙げると、後半2分には福田が倒されて得たPKをバインが決めて突き放した。ここから1人少なくなった相手をさらに攻め立て、13分にはブッフバルトがCKからシュート。ポストのはね返りをもう一度蹴ったが今度は相手DFに当たり、三度目に押し込んで4-0とした。
5点目は取れなかったが、1試合4得点はチームタイ記録で、4点差勝利は初。そしてこれがレッズとして初めて3連勝を達成した試合だった。スタジアムのある大宮公園には、まだ桜が残っており、時折散る花びらが、サポーターの紙吹雪に負けじと舞っていた。
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
Jリーグ開幕後、2シーズン連続年間最下位という汚名を返上し、『勝てるチーム』へ躍進した1995シーズンだったが、スタートは順調とは言えなかった。開幕戦を落とし、第2節こそホームで勝ったものの、第3節から4連敗。中には拮抗した内容の試合もあったが、勝った第2節の清水戦で後半27分にウーベ・バインが得点したのを最後に4試合連続無得点では如何ともし難かった。
4月8日の第7節は大阪長居第2陸上競技場でJリーグに昇格したばかりのセレッソ大阪と対戦。90分を終えて0-0、延長前半も点が入らず、また無得点試合かと思われた延長後半5分に福田のVゴールが飛び出し、5試合ぶりの得点と勝利を挙げた。続く4月12日の第8節も延長。当時首位の横浜マリノスと2-2のあと、延長前半14分にバインがサヨナラ弾を放った。
そして4月15日の第9節は、3試合ぶりに当時のホーム、大宮サッカー場に昇格組の柏レイソルを迎えた。2連勝で勢いに乗るレッズは、守備を固めたカウンター戦術を徹底しゴールを重ねる。前半22分にバインが先制、37分に福田正博が追加点を挙げると、後半2分には福田が倒されて得たPKをバインが決めて突き放した。ここから1人少なくなった相手をさらに攻め立て、13分にはブッフバルトがCKからシュート。ポストのはね返りをもう一度蹴ったが今度は相手DFに当たり、三度目に押し込んで4-0とした。
5点目は取れなかったが、1試合4得点はチームタイ記録で、4点差勝利は初。そしてこれがレッズとして初めて3連勝を達成した試合だった。スタジアムのある大宮公園には、まだ桜が残っており、時折散る花びらが、サポーターの紙吹雪に負けじと舞っていた。
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】