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コラム「5年前の今日(7月16日)」

2005年7月16日、大原サッカー場のミーティングルームで、新外国籍選手の加入記者会見が行なわれた。
ロブソン・ポンテ。
1976年11月6日生まれの28歳(当時)。ドイツ・ブンデスリーガで6シーズンプレーし、バイエル・レバークーゼンではUEFAチャンピオンズリーグにも出場したブラジル人選手だ。
2005シーズンはリーグ戦が2ステージ制から通年制へと移行した年。浦和レッズは前年、初のステージ優勝を果たしたものの、チャンピオンシップでPK負けしており、何としてもJリーグ優勝をと、クラブ、サポーターが一丸となっていた。
しかし、シーズンイン直前に山瀬功治が横浜F・マリノスへ移籍。6月にトルコ人DFアルパイとの契約を解除し、7月に前年のJリーグ得点王エメルソンがアル・サッド(カタール)へ移籍するなど、その年のレッズは戦力の流出が目立っていた。クラブは、ゲームメークのできる攻撃的MFの獲得が急務として、元日本代表に狙いを定めていたが不調に終わり、当時のブッフバルト監督の人脈で浮かび上がったのがポンテだった。

契約は7月15日からだったが、規定によりJリーグ公式戦出場は8月14日ヤマザキナビスコカップ準々決勝第2戦の清水戦、リーグ戦は8月20日の第19節FC東京戦がレッズデビューとなった。そのJリーグ初出場のFC東京戦では、前半39分に永井雄一郎へのスルーパスで同点ゴールをアシスト。さらに後半9分、逆転ゴールを決め、勝利に大きく貢献した。
この年のリーグ戦で16試合出場8得点をマーク。自らの得点のみならず、前線の司令塔としてFW陣を生かし、プレースキッカーとしてもチャンスを演出した。2005シーズンのリーグ戦がわずか勝ち点1差で2位に終わったレッズだけに、サポーターは「ポンテの加入がもう少し早かったら…」と残念がった。彼の加入直前に、この年唯一の連敗を喫していただけに、なおさらだった。
だが、その無念はすぐに晴らされることになる。Jリーグ閉幕後、第85回天皇杯でレッズは快進撃を続け、ついに元旦決戦で清水を破り初優勝を果たしたのだ。ポンテは得点こそなかったが、すべての試合に先発し、攻撃の中心を担った。
翌2006シーズン、レッズはクラブ史上初のリーグチャンピオンの座に就き、そしてJリーグ勢としては初めての天皇杯2連覇という快挙も成し遂げた。このシーズン2冠達成にもポンテの功績は欠かせなかった。さらには2007シーズン、レッズが初めて挑戦したAFCチャンピオンズリーグでも12試合すべてに出場し5得点を挙げる活躍で、チームを優勝に導いた。まさにレッズに栄冠をもたらし続けた男だった。
だが、そんな彼をアクシデントが襲う。Jリーグ2連覇、ACLとの2冠をかけて臨んだ2007シーズン最終節で右ヒザ前十字じん帯を損傷。半年のリハビリを余儀なくされたのだ。この年、チームは2位に終わったもののポンテの活躍はJリーグMVPという形で証明されたが、受賞式(Jリーグアウォーズ)に、その姿はなかった。

2008シーズン、上位にいながら調子の上がらないレッズにとって、ポンテの復活は希望の光だった。6月28日、第14節の柏戦でついに先発出場、サポーターは「ロビー復帰!」を万雷の拍手で迎えた。しかし、半年以上のブランク、サッカー選手にとって生命線のヒザの大ケガは、戦いの場に戻った彼を苦しめた。ケガをする以前に比べて、明らかにパフォーマンスが落ち、自分でも歯がゆい毎日だった。
それは年が明けても劇的に改善されることはなかった。翌2009シーズン、チームの戦い方が変更された中で、ポンテは自分の技術を新しいサッカーに合わせようと懸命だった。5月~6月には筋肉系のケガで戦線を離脱したが、その後はコンスタントに試合に絡み、そのプレーは徐々に戻ってきた。
そして今季。ポンテは開幕から2008~2009シーズンとは見違えるようなパフォーマンスを見せた。多くの場面に顔を出し、攻撃の起点になったかと思うと、ゴール前でタメを作りラストパスを出す。自らの得点もすでに公式戦5点を記録している。
チームは常に新しい力が入ってくるし、新陳代謝、世代交代という作業はチーム作りに欠かせないものだ。今のポンテは、若い選手が越えなければいけない壁でもある。いつまでもチームの攻撃の中心を彼に頼っていては、レッズに新しい時代は来ない。壁が高ければ高いほど、乗り越えるには大きな力が必要になる。だから再開するJリーグでも、ポンテのハイパフォーマンスを見たい。もちろん、それがレッズの勝利につながるからでもあるが、彼を乗り越えたときのレッズが、よりレベルアップしていることを期待するからだ。

今日で、ポンテは浦和レッズ在籍6年目に入った。外国籍選手としては最長の期間だ。ブラジル人の陽気さとドイツ人の厳格さを併せ持ち、若い選手たちからも慕われている。もう一度ロビーと共に栄冠を勝ち取ることと、レッズの新しい時代が始まる出発点がイコールであること。そうなれば、こんなに素晴らしいことはない。

ところで今日7月16日は、1997年に移籍加入したアイトール・ベギリスタインとアルフレッド・ネイハイスが、駒場スタジアムでの試合(市原戦)の前にサポーターに来日の挨拶をした日でもある。また2003年の7月16日には、ロシア人DFユーリ・ニキフォロフが来日している。何かと外国籍選手に縁のある日だ。

【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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