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勝利への飽くなき執念を持つ男が帰還

勝利への飽くなき執念を持つ男、ゼリコ・ペトロヴィッチが監督としてレッズに帰ってくる。

【レッズでのペトロ】
熱き魂を持った男、ゼリコ・ペトロヴィッチ。
1997年11月、前年にリーグ優勝を果たしたオランダの名門PSVから浦和レッズにやってきたペトロヴィッチは、2000年9月にこのクラブを離れるまで、1998年のセカンドステージ3位、1999年のJ2降格、2000年J2での過酷な戦いと、レッズが喜びから苦悩に陥った時代に、すさまじいまでの闘争心と豊富な運動量でチームをリードしたファイターだった。
レッズ在籍時の1998年、日本が初出場を果たしたFIFAワールドカップ・フランス大会に、ユーゴスラビア代表(当時)の一員として出場。現・名古屋グランパス監督のストイコビッチをはじめ、サビチェビッチ、ミヤトビッチ、ミハイロビッチなど、多くのスター選手と共に世界の檜舞台に立った。6月14日のユーゴスラビアvsイラン(1-0サンテチエンヌ)は、レッズの登録選手が初めてワールドカップ本大会に出場した日として記録されている。
大会はグループリーグを2勝1分の2位で突破。ラウンド16でオランダに1-2で敗れたが、ペトロは左サイドバックとして4試合すべてに出場した。

【ペトロヴィッチの師匠達】
ペトロヴィッチは現役時代、多くの監督の下でプレーしている。自身のクラブキャリアの中では最高の成績を収めたPSVでの1996/1997オランダリーグ優勝時は、オランダの名将、ディック・アドフォカート監督(現・ロシア代表監督 2005~2006韓国代表監督、ゼニトで2006UEFAカップ優勝)のもとでプレー、UEFAチャンピオンズリーグにも出場した。また、レッズを去って2003年の現役引退までを過ごしたオランダのRKCでは、マルティン・ヨル監督(現・アヤックス監督、2008/2009シーズン ハンブルガーSV監督)の下でプレー、後にハンブルガーSVで監督とコーチという間柄となる師弟関係を築いた。そして、ペトロヴィッチがユーゴスラビア代表デビューを果たした1990年当時、指揮を執っていたのは、イビチャ・オシム元日本代表監督だった。

現役時代は、旧ユーゴスラビア、スペイン、オランダ、そして日本と、合計4カ国のクラブでプレーしたペトロヴィッチ。それぞれの国ですばやく適応し、自分のプレースタイルを確立させて、チームの中で存在感を高めていった。数カ国のでのプレー経験から、オランダ語、英語、スペイン語が堪能。
2003年の現役引退後、ペトロビッチは、外国人の取得が非常に難しいとされるオランダのコーチングライセンスを取得し、2004/2005シーズンには、小野伸二が在籍したフェイエノールトで、ルート・フリット監督の下、テクニカルコーチを務めた。これが指導者としてのペトロヴィッチのキャリアのスタートだった。
そして、2006/2007にポルトガル1部のボアビスタFCの監督に就任。
2007/2008シーズンは、現役時代に5シーズンを過ごしたRKCの監督に就任。ディビジョン2に低迷していたチームをプレイオフ進出に導いた。
2008/2009シーズンは、RKC時代に師弟関係だったマルティン・ヨル監督のもとでドイツブンデスリーガ1部、ハンブルガーSVのアシスタントコーチを務め、リーグでは5位だった。
今シーズンからは、イングランド・プレミアリーグ昇格1年目のウエストハムで、知将、アブラム・グラント監督(2007/2008チェルシー監督でUEFAチャンピオンズリーグ準優勝、2009/2010ポーツマス監督)からの要望でアシスタントコーチを務めていた。

【リーダーシップ】
ペトロヴィッチは現役時代、勝利へのすさまじいまでの執念で、チームを鼓舞し勝利を目指した。時には、その熱さが仇となることもあったが、最後の最後まで走り続け、戦い続けるあくなき闘争心は、ピッチ全体、更にはスタジアム全体に広がり、レッズが突き進んでいく大きなパワーになった。また、試合の時の熱さとは裏腹に、普段は非常に温厚な人柄で、同じ時期に在籍した、チキ・ベギリスタインと共に、レッズへの愛情も人一倍だった。2000年9月16日に行なわれたさよならセレモニーでは、人目もはばからず大粒の涙を流してレッズへの愛情を示し、多くのファン・サポーターに惜しまれながら、浦和を去った。
ペトロヴィッチがこれまで、ヨーロッパのトップレベルで培った経験と知識、抱き続けたレッズへの愛情、そして、現役時代から発揮していた勝利へのあくなき闘争心をレッズに注入し、スタジアムに歓喜と感動をもらたせてくれるだろう。

【ペトロヴィッチの志向】
ペトロヴィッチは、レッズでの監督就任にあたり、自身がチームに求めるものとして次のように語っている。
「クラブ、チームのために全力を尽くし、勝つためにトレーニングからファイトさせる。組織的でアグレッシブに戦うサッカーを目指す。レッズの選手である以上、常に、周囲に多くのサポーターがいる環境にある中で、勝利への高いモチベーションを持って試合に臨まなければいけないのは当然。そういう部分をチームに求めていきたい」
最後に、2000年にペトロヴィッチがレッズを離れるときに残してくれたメッセージを紹介したい。
「もし、レッズのためにプレーするなら、レッズを愛さなければならない。そして、もし、レッズを愛するなら、100%ファイトしなければならない」

【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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