NEWS

コラム「16年前の今日(10月26日)」

1994年10月26日、浦和レッズは初めてリーグ戦で名古屋グランパス(エイト)から勝利した。
Jリーグがスタートして2年間、レッズは成績において低迷していた。そのころ同様に下位にいたのがガンバ大阪と名古屋グランパスだった。3チームは

1993年
第1ステージ:8位・G大阪、9位・名古屋、10位・浦和
第2ステージ:8位・名古屋、9位・市原、10位・浦和

1994年
第1ステージ:10位・G大阪、11位・平塚、12位・浦和
第2ステージ:10位・G大阪、11位・浦和、12位・名古屋

という成績。今ならこの3チームが“残留争い”の常連ということになる。そして、この下位同士の戦いでも、レッズはグランパスに勝てなかった。ガンバには悪くなく、年に4回の対戦があった当時のリーグ戦で、1993年は2勝2敗、1994年は3勝1敗と、勝ち越している。
しかしグランパスとの対戦は、リーグ戦初顔合わせの1993年5月19日(水)、レッズにとってのJリーグホーム開幕戦で0-3と完敗したのを皮切りに1994年8月27日のアウェイ戦まで通算7連敗。つまりまったく勝てなかった。こんな相手は他になかった。当時、ステージ優勝を果たした鹿島アントラーズ(1993年第1st)、東京ヴェルディ(1993年2nd、1994年2nd)、サンフレッチェ広島(1994年1st)にも、1993年に一度ずつは勝っている。それなのに、この成績は、相性が悪いとしか言いようがなかった。
しかし、その不名誉な関係についに終止符が打たれるときが来た。1994年第2ステージ第15節、当時ホームで使用していた大宮サッカー場にグランパスを迎えた10月26日。水曜日なのでキックオフは午後7時だった。
試合はレッズが攻勢を取った。ケガから先発に復帰した福田正博を始め、ウーベ・バイン、ルルらがゴールを襲う。前半27分、この日デビューの中島 豪が先制ゴールを決めた。しかし追加点が取れないまま、後半38分に追いつかれる。1-1で入った延長もレッズが攻め込むが両チーム得点なく、PK戦へ。レッズは後蹴りで先頭の福田がいきなり失敗。しかしグランパスも1人失敗し、4人を終えて3-3。5人目のキッカー、グランパスのガルサをGKの土田尚史が止めた。レッズの5人目は、グランパスから期限付き移籍中の浅野哲也。しっかり決めて4-3でPK戦を制した。リーグ戦で延長、PK戦があった時代だったからこその勝利だった。
グランパスはこの1994年第2ステージで初めて最下位となっている。
この日を境に、レッズがグランパスに対して極端に分が悪いということはなくなった。よく「レッズはグランパスに相性が悪い」と言われているが、1995年から2010年までのリーグ戦での成績はレッズの11勝4分17敗。負け越してはいるが一方的ではない。ここ2年は毎年1勝1敗と星を分け合っている。
現在、グランパスは今シーズンここまで首位を走っており、レッズがタイトルを奪還するために倒さなくてはいけない存在だ。ライバル関係は高いレベルで継続している。

<浦和レッズvs名古屋グランパス リーグ戦対戦成績>
     浦和↓    ↓名古屋
1993. 5.19 ●0-3○(駒場)
1993. 6.16 ●1-3○(瑞穂球)
1993. 8.7 ●1-4○(三重)
1993.11.13 ●0-5○(駒場)
1994. 3.26 ●2-7○(瑞穂球)
1994. 5. 7 ●0-1○(国立)
1994. 8.27 ●2-4○(長良川)
1994.10.26 ○1-1●(大宮)

【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

コラム「16年前の今日(10月26日)」 コラム「16年前の今日(10月26日)」 コラム「16年前の今日(10月26日)」 コラム「16年前の今日(10月26日)」 コラム「16年前の今日(10月26日)」

PARTNERパートナー

  • ポラスグループ
  • Nike
  • 三菱重工
  • 三菱自動車
  • エネクル
  • DHL
  • チケットぴあ