NEWS
宇賀神友弥 記者会見 コメント
21日、契約満了に伴って今シーズン限りでチームを離れることになった宇賀神友弥の記者会見がオンラインで行われ、メディアからの質問に答えた。
【宇賀神友弥】
「みなさん、こんにちは。2021シーズンをもちまして浦和レッズを離れることになりました。ここにいるメディアのみなさんには、本当に長い間お世話になったと思います。プロサッカー選手になってから12年間、レッズの育成組織に入ってから合計で18年間、レッズというクラブに関わることができて、本当に幸せだったと思っています。みなさんにいろいろと取り上げていただいて、本当に感謝しています。レッズというクラブの素晴らしさを本当に長い間で感じることができたので、これからは違うクラブになるのか、今後のことはまだ考えていませんが、違った目線からレッズを見て、そして、今日来ていただいたメディアのみなさんにレッズの素晴らしさを届けてもらいたいなと思っています。
契約満了の話をされたときにレッズで終わりたいなという気持ちがあった反面、出場機会が減ってきた中で、プロサッカー選手としてというところで考えると、他のチームに行くべきなのか、それともレッズに残って引退するべきなのかを考える日々を過ごしていました。今回の決断をチームから下されたのは悔しい結果でしたが、個人として、現在はすっきりしていますし、また次に向かって、どんな人生を歩んでいくのだろうとワクワクしている自分もいます。今日こういう取材でいろいろなレッズでの思い出を語ることで、悲しくなるのかなと思いますが、みなさんと一緒に12年間をいろいろと振り返っていければいいかなと思っています。今日はよろしくお願いします」
(昨日の横浜F・マリノス戦、3番のユニホームが多かったと話していたが、その中には35番のユニホームがあった。それには気付いたか?気付いていたら、どのように感じたか?)
「35番も結構ありましたね。35番は、JFA・Jリーグ特別指定選手時代の2009年の夏頃からなので、実質1年半でしたが、もう12年経ったんだなと。自分の中では本当にあっという間だったなと思いますし、12年前から自分のことを応援してくれる人があんなにもいたんだなということを実感しました」
(レッズでは毎年のように有力なサイドバックの選手が加入していたが、宇賀神選手の出場機会が減ったかというとそうではなかった。特に橋本 和選手(現FC岐阜)の加入などでは出場は厳しいのではないかと感じたが、そうした強力なライバルがいながら、ここまでやってこられた要因をどう考えているか?)
「橋本選手もそうですし、山中(亮輔)選手もそうです。自分にないものを持っている選手が多く来たと思っていますし、自分に何が足りないのか、自分のストロングポイントはここだとか、あの人にはあって自分にないもの、あの人になくて、自分にあるものを冷静に分析してきました。その中で、その選手の良さを盗むということを自分の中でうまく消化できていたからこそ、そういう選手をはねのけて来られたのかなとは思っています」
(その選手の良いところを盗んだこと以外でも、ここは負けないぞと思ってきたところはどこか?)
「やはり周りの選手を動かしてチームを活性化させるということは、自分の中ですごく長けている部分だと思います。本当に多くの時間、槙野(智章)と一緒にプレーする機会が多かったですし、槙野をうまく使いこなしたということも一つの要因かなと思っています(笑)」
(昨日の試合で交代出場するときにメインスタンドからは背中しか見えなかったが、胸を叩いていたのか、もしくはエンブレムをつかんだように見えた。実際にはどうしていたのか?)
「試合に出るときのルーティンといいますか、レッズのエンブレムをグッと握って自分自身に問い掛けています。クラブエンブレムを握って、チームのために走って、闘うということを自分の心に言い聞かせてピッチに入っています。
SNSなどでいろいろな人から意見が来ましたが、実は常にやっていることで、特別に昨日だったからということではありません。今のシチュエーションが何かを噛み締めているように映っちゃったのかなと思います。クラブに対する愛情は、常に誰にも負けないと思っていますので、その意味も込めてエンブレムをグッとつかんで、『チームのために闘うんだぞ』ということを再確認してピッチに入るというようなルーティンでした」
(ルーティンとはいえ、契約満了が発表されてから初めてピッチに入るということで、心境の変化や思いの違いはあったか?)
「それはありました。今まで当たり前のようにレッズのユニホームを着て、埼玉スタジアムのピッチに立って、という日常が、もうなくなってしまうんだということを考えました。昨日も入れるとあとリーグ3試合しかレッズのユニフォームを着てこのピッチに立てないんだと考えると、1分1秒を大切にしないといけないと思いながらピッチに入りました」
(レッズの選手理念として「浦和を背負う責任」という言葉があるが、宇賀神選手は浦和だけではなく戸田市も背負っていたと思うし、クラブもチームも我々メディアも宇賀神選手に頼ることがすごく多かったと思う。メディア側からすると言葉が欲しいときに宇賀神選手に話を聞くと、刺さるような言葉が出てきていた。それはレッズの一員だからそういう言葉を発しようと意識してやっていたのか?それとも自然に出てくるようなものだったのか?)
「そういうことを意識して話したことは一度もありません。中学生のときからレッズにいて、『レッズはこうあるべきものだ』ということが受け継がれてきているのかなと思います。自分なりに『レッズはこうあるべきではないか』ということを考えていましたし、コメントや振る舞いは自分なりに考えてやっているものです」
(それはにじみ出てくるものか?)
「にじみ出てくる…そうですね。そういうイメージです」
(宇賀神選手や阿部勇樹選手、槙野選手がレッズを離れることになり、戦うところや引っ張っていくことを今後誰に受け継いでいってほしいか?昨日の試合後、ブログに「今日の関根(貴大)のプレーを見て『おれに任せてください』と言っているように感じた」と書いていたが、その後に関根選手と話をしたか?)
「朝、お風呂が一緒になって『僕のことについて言ってくれてるじゃないですか』みたいなことは言われました。今回契約満了になって、2人ではないですが、関根とみんなで食事に行く機会があって、『レッズの一時代を築いたメンバーとプレーしているのはお前しかいないし、お前がやらなきゃいけないぞ』ということは何度も言わせてもらいました。関根は『一人じゃ厳しいですよ』って言っていますが、そういう会話もありつつの昨日のプレーでしたので、プレーで回答してくれたんだなと。言葉ではああ言っていても、昨日のあいつのプレーはそういうふうに僕の目には映りましたし、関根が自分たちの思いを引き継いでいってくれるんじゃないかと思っています。やらなければいけないと僕は思っていますし、できればキャプテンマークを巻いてやってもらいたいなと思っています」
(背番号3は在籍2年目に細貝 萌選手(現ザスパクサツ群馬)から引き継ぎ、最初は「非常に重い」と言っていたと思うが、いつ頃から馴染んできたのか?それとも、まだ重いのか?)
「いまだにトークショーで3番を見つけても『HOSOGAI』と書いてあることがあるので、馴染めたかどうかは分かりません。ただ、3番を着けて11年経つので、レッズの3番と言えば宇賀神と言ってもらえるようなプレーは見せることができたんじゃないかなと思います。3番に対するおもいは非常に強いので、これからある選手に引き継いでくれないかという話はしようかなと思っています」
(それは後々の楽しみか?)
「そうですね。それはこれから話したいなと思います」
(レッズの選手としてどうあるべきかを考え続けていた12年間だったと思うが、実際にはどう思っているか?)
「『浦和を背負う責任』ということをチームとして掲げていますが、『レッズといえばファン・サポーターがすごいよね』とか、『応援がすごいよね』とか言われてきました。僕自身、ずっと意識してきたことは、そのファン・サポーターの熱に選手が絶対に負けてはいけないということです。『ファン・サポーターがすごい』とかファン・サポーターがやっていることに『すごいな、レッズ』となるのではなくて、『そのおもいよりももっと強いものを持っているぞ』ということをピッチで表現しないといけないとすごく意識していました。『それだけすごいファン・サポーターのおもいを背負っているんだぞ』ということを選手一人ひとりが意識して、自覚をして、責任を持ってプレーしなければいけない。そういうことを、これからレッズに来る選手、来年以降もレッズに残る選手には意識してプレーしてもらいたいなと、僕自身は思っています。
責任は言葉ではなかなか伝わらないと思いますし、意識できないと思いますが、埼玉スタジアムのピッチに立ったときは心が高ぶりますし、常にレッズのエンブレムを背負って戦うことを意識してプレーしてもらいたいです。自分自身はそういう気持ちで12年間プレーしていましたし、いろいろな方々から『宇賀神選手からそういう気持ちを感じられました』とたくさん言ってもらえていますので、そういうことを意識してプレーしてきて良かったと本当に日々感じています」
(宇賀神選手はサイドの選手で目の前の相手がはっきりするポジションでありながら、いつもチーム全体のことを見て、発言したり、本当に見えていたりというのがあったと思うが、チームのためにプレーすることや他の選手を生かすところは、どういう心構えでやってきていたのか?)
「心構え…自分としては特に意識しているわけでもなく、いつも通りにしているだけですが、自分の考え方として、自分が良ければすべてOKと考えているわけではありません。最終的に全員が活躍できて、勝って、優勝できれば一番良いという考えを本当に常に持っています。そのために自分が何をすべきか、他の選手が何をすべきかと考えていることが一番だと思います。レッズというクラブもいろいろな人の支えがあって、これだけのクラブになっていると思いますので、どうすればレッズがもう一度アジアチャンピオンになれるのか、J1リーグで優勝できるのか、それを常日頃から考えている結果なのかなと思います」
(宇賀神選手のプレーや振る舞い、反骨心などは、ファン・サポーターとの関係にも通じる部分かもしれない。例えば、ある試合で悪いプレーをしたら、次の試合は絶対に見返してやる、というようなことを続けて、いつの間にか12年間が経っていたという部分があるのではないか?)
「それは今までを振り返っても、うまくいかなかったときに修正をして、起きてしまったことを絶対にプラスに変えて、というような人生だったと思います。レッズというクラブは自分にとって、マッチしていたんだなとあらためて思います。ファン・サポーターのみなさんは特に厳しい目で、厳しい意見をぶつけてきてくれたので、それに対する反骨心みたいなものは持っていました。自分はストレートな性格なので、思ったことを口にするし、思ったそのときに抱いた感情をストレートに表現していたので、ファン・サポーターの方たちとはぶつかる回数も非常に多かったですが、そういった出来事が自分を強くしてくれたなと思っています」
(12年間でJ1リーグは300試合近く出場し、他の大会を含めるともっとたくさんあるが、印象に残っている試合や、やり直したいと感じる試合は?)
「この質問があるなと思って、いろいろと考えていましたが、2014年のガンバ大阪と対戦した試合、勝てば優勝という試合です。0-0の状態で、自分がシュート打って東口(順昭)選手に止められてしまったシーンがありますが、自分の中でどれが印象に残る試合かと考えたときにパッとそれが浮かんできました。今でも、あのシチュエーションが、あのピッチに立っている自分が浮かんできます。あれを決めていればレッズにJ1リーグ優勝をもたらすことができていた。『なんで決められなかったんだろう』という悔しいおもいが今でもずっと心に残っています。
このクラブに対して『恩返しをしたい』というおもいで帰ってきて、恩返しと言ったらクラブにタイトルをもたらすことだと思っていますし、強い気持ちを持ってレッズに入ってきました。自分の中で、J1リーグで優勝できなかったのは、すごく心残りですし、あの試合で優勝を持って来られなかった、あのチャンスを決め切れなかったことをすごく悔やんでいます。自分の得意なコースでしたし、流し込めていればというのは、すごくあります。
もう一つ印象に残っているのは、2017年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)決勝、埼玉スタジアムでの第2戦です。ピッチに立った瞬間に涙が溢れてきました。試合前に、実はもう泣いていて、涙がポロポロこぼれてきました。中学生で初めてレッズに入って、プロになれなかった。一度レッズを出て行って、また戻ってきた。そういうことが、あのビジュアルサポートを見たときに、フラッシュバックでパッと頭の中に浮かんできました。そんな自分がこのピッチに立っているんだ、ここでアジアチャンピオンになることができるんだ、ということを考えたときに、並びながら涙が出てきたということがすごく印象として残っています」
(阿部選手の引退、宇賀神選手と槙野選手の退団が決まり、2017年のACL優勝を知っている選手は2人だけになる。勝ち上がるコツがあると思うが、そういうことに関して何か残していきたいものは?)
「僕はタイトルを3つ獲りましたが、やはりホームでファン・サポーターの大声援が自分たちを後押ししてくれたというのが一番です。綺麗事になってしまうかもしれないですが、本当にあのファン・サポーターが自分たちに力を与えてくれました。2017年のACLで優勝したときも、ホームは全勝だったんですよね。J1リーグのタイトルは獲れませんでしたが、J1リーグもうまくいかない時期にホームで試合があると、『ここで一つ勝てば勢いに乗れる』っていうことはありました。言葉では説明できませんが、ホームで勝って、ファン・サポーターの人たちと一つになるということが、優勝するために一番必要なことだと思います。
新しく入ってきた選手は、(コロナ禍の制限で)まだそれを体験していません。一度それを体験してもらって、『宇賀神さんが言っていたのはこういうものなんだ』ということを感じてもらい、うまくいかないときや、ここで勝たないといけないときに、ファン・サポーターの声援や気持ちを背負ってプレーしてもらいたいです。それは、これから勝ち取っていくために必要なことだと思います。僕のこの会見の記事を見てくれたファン・サポーターの方たちには、そういう意味でもレッズを後押ししてほしいですし、今までみなさんが送ってくれた声援は、自分たちに届いていたんだということを伝えたいですね」
(来季のACLに挑むためにもJ1リーグだけでなく天皇杯が残っている。宇賀神選手には優勝した2018年の天皇杯での活躍があるが、天皇杯についてのおもいは?)
「SNSに、いろんな方から『天皇杯頼んだぞ』とメッセージが来ています。『宇賀神、あの再来を頼んだ』と言われますが、あれ(決勝のベガルタ仙台戦のゴール)は一生に1回しか出ないんじゃないかなと自分自身でも思っているところがあります(笑)。でも、最後は優勝できるように、できる限りのことをやりたいと思っています。
僕はトレーニングですごく調子が良くても、『何でもできちゃうな』と思うことがあまりないタイプです。どちらかと言うと、トレーニングで調子が良いと試合が怖いというマイナス思考なんですね。トレーニングでシュートがたくさん入ると決められそうな気がするというタイプではなくて、試合前は常に不安と戦っている人間なんです。だけど、あの天皇杯はなぜか、『このまま俺、やれそうな気がするな』っていう気がしていました。鹿島アントラーズ戦で(後半アディショナルタイムに決定的なピンチで)クリアして、勝利に貢献できたときも、珍しく『決勝戦もやっちゃうよ』みたいなことをいろいろな人に言っていたんですよ、『次もやれそうな気がする』って。謎の自分でもわからないゾーンに入っていました。
そういう自分がいて、あの決勝戦のゴールの瞬間も本当に、冷静な自分がいたのをすごく覚えています。いろいろなところで言ったと思いますが、ボールがパーンと上がっている間、本当は一瞬だったかもしれないですけど、自分の中では10秒位な感じで、今まで練習してきたいろいろなセットプレーの形とか、前日に李(忠成・現京都サンガF.C.)選手に言われた『枠に飛ばしてくれれば絶対に俺が何とかしてやる』という言葉が、あのときにふっと沸きました。そういうゾーンに入っていたのが天皇杯の活躍だったと思っています。自分自身もいろいろな人にそう言っていただけるので、あの映像は何回も、何十回も何百回も見ました。ただ、印象に残っているかと言われると、悔しいことのほうが僕は印象に残りますし、自分の実力不足を嘆くわけではないですが、まだまだなんだと思います。まだまだ上手くなりたいと思うからこそ、悔しい思いが浮かんでくるのだと思います」
(槙野選手は11月5日ごろにクラブから提示されたと話していたが、宇賀神選手の場合は、いつ頃でどういうシチュエーションだったのか?)
「日にちは覚えていませんが、その1週間後くらいでした。クラブから呼ばれて『来シーズン優勝するためにチームを作っていく上で、戦力としては考えられない』というふうに言われました。自分自身は、レッズで引退するという夢を持っていましたし、自分がレッズ一筋で引退することで、今いる育成組織の選手に、新たな目標や夢を与えられたりすると信じていたので、その夢を叶えられないんだと、率直に思ったのが一つです。
僕自身だんだんと出場機会が減っていく中で、来年もレッズに残って、チームのために、チームが勝つために貢献しながら、レッズの選手で引退するのがいいのか、それとも他のクラブに行って出場機会を得て、プロサッカー選手として活躍の場を求めるのかっていうのは、すごく悩んでいたこの3ヵ月くらいでした。契約満了の話をもらったときにレッズに残るという選択肢がなくなったという悲しいおもいでもありますし、少しすっきりした自分もいました。
今まで育成組織を含めて18年間、レッズしか見ていませんでしたので、違う視点でレッズを見て、良いところと悪いところをしっかりと見て、また帰ってきたいなというおもいになりました。自分自身、また新たな道に進めるというワクワクした気持ちです。槙野と違って毎日泣いているわけではないですし、この会見も涙の会見という形にはならないと思いますが、現在は冷静に次の道はどういうふうに進むのかな、どういう自分になるのかな、レッズじゃない宇賀神はどうなるのかな、これから先どんな未来が待っているんだろう、ということで、前向きで楽しみな気持ちが大きいです」
(まだこれからのことは具体的には考えてないと話していたが、まずレッズでの戦いに集中して、それから考えたいということか?)
「そうですね。レッズで戦える、レッズの宇賀神として戦える試合は限られているので、そこに全身全霊を尽くしたいと思っています」
(先ほど槙野選手ほど毎日泣いていないと話していたが、実際、涙はあったのか?)
「1回だけです。1回だけありました」
(どのようなおもいのどのような涙だったのか?)
「どのようなおもいでどのような涙か…今、フットボール本部にいる土田尚史(スポーツダイレクター)さんとは本当に長い時間、一緒に仕事をしたので、尚史さんと話をしたときに、いろいろと込み上げてくるものがあって、そこで泣いたくらいです。昨日の試合も最後に一周、回っているときに泣きそうになりましたが、『まだ泣いちゃだめだな』と思いました。来週泣くからとっておこうと思いました」
(12年間で宇賀神選手がレッズに残せたものは?先ほど、タイトルを3つ獲ったと話していたが、そういう形でないものも残したのではないか?)
「平さん(平川忠亮コーチ)や、今までレッズの歴史をつくってくれた(鈴木)啓太さん、坪さん(坪井慶介)、(田中)達也さんといった選手から僕がプレーや背中で感じてきたものを関根が感じ取ってくれて、昨日のピッチで表現してくれたと思っています。そういうものを一人でも感じてくれる選手がいたというのが、自分の残したものなのかなと思います。次につなげることができたことが、自分が残したものかなと思います。
関根本人がどう思っているかは分かりませんが、自分自身、ピッチに立ったときに見に来てくれる人が自分のプレーから何かを感じ取って、『見に来て良かった。レッズって最高だな』と思ってもらえるプレーを常に心掛けてきました。昨日の関根のプレーは、まさにそういうプレーだったのではないかなと思います。見ている人の心が熱くなるようなプレーだったと思いますし、それが昨日の結果につながったんじゃないかなとも思います。自分と同じような気持ちを持った選手が、ああいうふうに一人、ましてや育成組織出身の選手で、そういうプレーを見せてくれたということが、自分が残せたものなんじゃないかなと思います」
(やり残したことはないか?)
「J1リーグで優勝できなかったことが、やり残したことですね。何回もチャンスがありました。自分が試合に出ていたということで、自分の実力不足を痛感しています。ファン・サポーターの人には申し訳ないと思います。自分がいた12年間で、これだけ試合に出て、ファン・サポーターの人にJ1リーグのシャーレをプレゼントできなかったことが心残りです。ブログでも言いましたが、必ずレッズに帰ってくると心に決めています。次に帰ってきたときにシャーレを掲げられるようにしたいと思っています」
(宇賀神選手はピッチの外でも浦和やサッカーのためにいろんなことをやってきた。台風でレッズランドが水没したときもクラウドファンディングを行い、今は女性のアスリートの支援をしている。そういう活動について、どうしていきたいと考えているか?)
「僕自身がそういう活動をなぜ始めたかというと、プロアスリートというものは、地域貢献・社会貢献をするべき立場の人間だと思っているからです。プロサッカー選手の中で、そういう活動をできている選手があまりにも少なすぎると思いました。自分自身がそういう活動をすることによって、これからのプロサッカー選手はこういうものなんだぞ、こういうことを当たり前にできるんだよ、という文化にしたいと思って始めたのがきっかけです。先輩を悪く言うわけではないですが、今までいたレッズの先輩からも僕は教わってこなかったので、それならば僕がやろうと思いました。そして今いる選手、今いるJリーガーが『宇賀神がやっているから自分もやってみよう』と思う第一歩になればいいかなと思って始めました。
レッズの選手じゃなくなったとしても、それは積極的にやりたいなと思っています。女子アスリートのマネジメントという部分でも、もっともっと女子アスリート、女性が世の中で評価されるべきだと思うので、そういう手助けをできればいいなと思って始めました。どんどん拡大して、女性アスリートの素晴らしさを広げていければいいと思いますし、サッカーだけではなく、もっといろいろな競技の人とも一緒に手を取り合ってやっていきたいと思います。現在、レッズレディースの3選手が自分のプロジェクトに所属していますので、僕の魂はその3選手に託したいと思っています」
(努力に勝る天才なしというように、宇賀神選手は本当に努力を重ねてきたが、そのおもいの中でどのように平川コーチを追い掛けてきたのか?)
「常に平さんに追いつきたい、平さんを越えたいと思って、レッズでプレーしてきました。平さんという目標がなければ、ここまで長く続けることはできなかったと思いますし、僕にとって本当に大きな存在だと思います。今、コーチとして毎日、一緒にトレーニングしていますが、コーチになってもそんなに口数が多い人ではないですが、たまに掛けてくれる一言が、自分の心に響きます。よく見てくれているなと思います。勝手にですが、愛情を感じながら、日々一緒にトレーニングや試合をさせてもらっています。自分にとっては本当に大きな存在となってくれる一人だと思っています」
(宇賀神選手にとってレッズとはどういう存在で、どういう場所だったか?)
「難しい…情熱大陸みたいになったね、一気に(笑)。レッズとは…僕のサッカー人生そのものです。レッズが僕のサッカー人生そのものなので、レッズはそういう存在だと思います。そして埼玉スタジアムは、僕の家です。常にアウェイが続くと、埼玉スタジアムが恋しくなって、埼玉スタジアムのピッチに立つと心が落ち着いて、家に帰ってきたんだなという気持ちにさせてくれました。埼玉スタジアムという場所と、その雰囲気をつくり出してくれるファン・サポーターのみなさんに感謝しています」
(ピッチ外の活動では、有名・無名に関係なくプロ選手にこだわりたいと以前話していたが、今後、浦和を出て自分を知らない人が多いかもしれない場所での活動に関して、その気概は変わらずに強いものか?)
「何度も言いますが、僕は逆境に立たされたほうが燃えるタイプです。知らない人がいてくれたほうが、その活動を経て宇賀神という選手がいるんだって知ってもらえるように、より考えるようになると思います。今はレッズがあるから僕のことを知ってくれる人もいると思いますけど、そうではなくて、みんなに知ってもらうにはどうしたらいいんだろうって考えるようになると思うので、より活動に力を入れたいっていうおもいでいます。それが今、質問をされて思うことですね」
(それが今後楽しみだと言っている部分の一つか?)
「そうですね。レッズというブランドがなくなったときに、あらためて自分の人間としての価値が問われるというところだと思うので、もちろん不安ですけど、ワクワクしています」
(ここ数年は、他の選手たちを活動に巻き込みながらやっていたが、後輩たちには伝えられた手応えはあるか?)
「いや、自分のことでいっぱいいっぱいすぎて、伝えたり巻き込んだりすることができなかったと思います。もうちょっといろいろな選手といろいろなことをして、その選手が自発的に行動に起こすということを、もう少ししたかったなという気持ちが正直あります。けれども、それは他のチームに行ってもできることですし、自分がやる活動に何かを感じ取ってもらえればいいかなと思っています」
(そういう面も含めたアドバイスは続けていくか?)
「そうですね。もちろん続けていきたいと思います」
(今後も、ピッチ外での活動は続けていくか?)
「もちろん続けていきます。何一つやめることはないです。僕は引退するわけではないですし、ただただレッズを離れることになってしまっただけなので、自分がやることはブレずにやっていきます。こうした活動を全国に発信するためには、ここにいるみなさんの力が必要なので、ぜひよろしくお願いします」
「最後に、ホームの埼玉スタジアムで戦うJ1リーグの試合が残っています。まずはワクチン・検査パッケージを含めると制限が30,000人までになるということなので、間違いなく30,000人の方が見に来てくれると信じています。そして、昨日の試合でもそうでしたが、たくさんの方に3番のユニホームを掲げていただいて、僕がレッズに残してきたものを、ファン・サポーターのみなさまの愛情を僕も受け取りたいと思っています。まずはぜひスタジアムに来てもらいたいです。そして、埼玉スタジアムでプレーできる時間は本当に限られてきてしまったので、ピッチに立つ時間を噛み締めながらプレーしたいなと思いますし、みなさんと最高の時間を共有したいと思っています。
そして最後、おそらくスピーチの時間があると思うので、そこで初めて泣いちゃうんじゃないかなと思いつつも、ここで伝えられなかったようなことや、ファン・サポーターのみなさんに直接、感謝の気持ちを伝えたいです。自分が今、思っている気持ちを伝えたいなと思っていますので、ぜひとも最後、埼玉スタジアムで走り回る僕の姿を見てもらいたいなと思っています。今日はありがとうございました」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
【宇賀神友弥】
「みなさん、こんにちは。2021シーズンをもちまして浦和レッズを離れることになりました。ここにいるメディアのみなさんには、本当に長い間お世話になったと思います。プロサッカー選手になってから12年間、レッズの育成組織に入ってから合計で18年間、レッズというクラブに関わることができて、本当に幸せだったと思っています。みなさんにいろいろと取り上げていただいて、本当に感謝しています。レッズというクラブの素晴らしさを本当に長い間で感じることができたので、これからは違うクラブになるのか、今後のことはまだ考えていませんが、違った目線からレッズを見て、そして、今日来ていただいたメディアのみなさんにレッズの素晴らしさを届けてもらいたいなと思っています。
契約満了の話をされたときにレッズで終わりたいなという気持ちがあった反面、出場機会が減ってきた中で、プロサッカー選手としてというところで考えると、他のチームに行くべきなのか、それともレッズに残って引退するべきなのかを考える日々を過ごしていました。今回の決断をチームから下されたのは悔しい結果でしたが、個人として、現在はすっきりしていますし、また次に向かって、どんな人生を歩んでいくのだろうとワクワクしている自分もいます。今日こういう取材でいろいろなレッズでの思い出を語ることで、悲しくなるのかなと思いますが、みなさんと一緒に12年間をいろいろと振り返っていければいいかなと思っています。今日はよろしくお願いします」
(昨日の横浜F・マリノス戦、3番のユニホームが多かったと話していたが、その中には35番のユニホームがあった。それには気付いたか?気付いていたら、どのように感じたか?)
「35番も結構ありましたね。35番は、JFA・Jリーグ特別指定選手時代の2009年の夏頃からなので、実質1年半でしたが、もう12年経ったんだなと。自分の中では本当にあっという間だったなと思いますし、12年前から自分のことを応援してくれる人があんなにもいたんだなということを実感しました」
(レッズでは毎年のように有力なサイドバックの選手が加入していたが、宇賀神選手の出場機会が減ったかというとそうではなかった。特に橋本 和選手(現FC岐阜)の加入などでは出場は厳しいのではないかと感じたが、そうした強力なライバルがいながら、ここまでやってこられた要因をどう考えているか?)
「橋本選手もそうですし、山中(亮輔)選手もそうです。自分にないものを持っている選手が多く来たと思っていますし、自分に何が足りないのか、自分のストロングポイントはここだとか、あの人にはあって自分にないもの、あの人になくて、自分にあるものを冷静に分析してきました。その中で、その選手の良さを盗むということを自分の中でうまく消化できていたからこそ、そういう選手をはねのけて来られたのかなとは思っています」
(その選手の良いところを盗んだこと以外でも、ここは負けないぞと思ってきたところはどこか?)
「やはり周りの選手を動かしてチームを活性化させるということは、自分の中ですごく長けている部分だと思います。本当に多くの時間、槙野(智章)と一緒にプレーする機会が多かったですし、槙野をうまく使いこなしたということも一つの要因かなと思っています(笑)」
(昨日の試合で交代出場するときにメインスタンドからは背中しか見えなかったが、胸を叩いていたのか、もしくはエンブレムをつかんだように見えた。実際にはどうしていたのか?)
「試合に出るときのルーティンといいますか、レッズのエンブレムをグッと握って自分自身に問い掛けています。クラブエンブレムを握って、チームのために走って、闘うということを自分の心に言い聞かせてピッチに入っています。
SNSなどでいろいろな人から意見が来ましたが、実は常にやっていることで、特別に昨日だったからということではありません。今のシチュエーションが何かを噛み締めているように映っちゃったのかなと思います。クラブに対する愛情は、常に誰にも負けないと思っていますので、その意味も込めてエンブレムをグッとつかんで、『チームのために闘うんだぞ』ということを再確認してピッチに入るというようなルーティンでした」
(ルーティンとはいえ、契約満了が発表されてから初めてピッチに入るということで、心境の変化や思いの違いはあったか?)
「それはありました。今まで当たり前のようにレッズのユニホームを着て、埼玉スタジアムのピッチに立って、という日常が、もうなくなってしまうんだということを考えました。昨日も入れるとあとリーグ3試合しかレッズのユニフォームを着てこのピッチに立てないんだと考えると、1分1秒を大切にしないといけないと思いながらピッチに入りました」
(レッズの選手理念として「浦和を背負う責任」という言葉があるが、宇賀神選手は浦和だけではなく戸田市も背負っていたと思うし、クラブもチームも我々メディアも宇賀神選手に頼ることがすごく多かったと思う。メディア側からすると言葉が欲しいときに宇賀神選手に話を聞くと、刺さるような言葉が出てきていた。それはレッズの一員だからそういう言葉を発しようと意識してやっていたのか?それとも自然に出てくるようなものだったのか?)
「そういうことを意識して話したことは一度もありません。中学生のときからレッズにいて、『レッズはこうあるべきものだ』ということが受け継がれてきているのかなと思います。自分なりに『レッズはこうあるべきではないか』ということを考えていましたし、コメントや振る舞いは自分なりに考えてやっているものです」
(それはにじみ出てくるものか?)
「にじみ出てくる…そうですね。そういうイメージです」
(宇賀神選手や阿部勇樹選手、槙野選手がレッズを離れることになり、戦うところや引っ張っていくことを今後誰に受け継いでいってほしいか?昨日の試合後、ブログに「今日の関根(貴大)のプレーを見て『おれに任せてください』と言っているように感じた」と書いていたが、その後に関根選手と話をしたか?)
「朝、お風呂が一緒になって『僕のことについて言ってくれてるじゃないですか』みたいなことは言われました。今回契約満了になって、2人ではないですが、関根とみんなで食事に行く機会があって、『レッズの一時代を築いたメンバーとプレーしているのはお前しかいないし、お前がやらなきゃいけないぞ』ということは何度も言わせてもらいました。関根は『一人じゃ厳しいですよ』って言っていますが、そういう会話もありつつの昨日のプレーでしたので、プレーで回答してくれたんだなと。言葉ではああ言っていても、昨日のあいつのプレーはそういうふうに僕の目には映りましたし、関根が自分たちの思いを引き継いでいってくれるんじゃないかと思っています。やらなければいけないと僕は思っていますし、できればキャプテンマークを巻いてやってもらいたいなと思っています」
(背番号3は在籍2年目に細貝 萌選手(現ザスパクサツ群馬)から引き継ぎ、最初は「非常に重い」と言っていたと思うが、いつ頃から馴染んできたのか?それとも、まだ重いのか?)
「いまだにトークショーで3番を見つけても『HOSOGAI』と書いてあることがあるので、馴染めたかどうかは分かりません。ただ、3番を着けて11年経つので、レッズの3番と言えば宇賀神と言ってもらえるようなプレーは見せることができたんじゃないかなと思います。3番に対するおもいは非常に強いので、これからある選手に引き継いでくれないかという話はしようかなと思っています」
(それは後々の楽しみか?)
「そうですね。それはこれから話したいなと思います」
(レッズの選手としてどうあるべきかを考え続けていた12年間だったと思うが、実際にはどう思っているか?)
「『浦和を背負う責任』ということをチームとして掲げていますが、『レッズといえばファン・サポーターがすごいよね』とか、『応援がすごいよね』とか言われてきました。僕自身、ずっと意識してきたことは、そのファン・サポーターの熱に選手が絶対に負けてはいけないということです。『ファン・サポーターがすごい』とかファン・サポーターがやっていることに『すごいな、レッズ』となるのではなくて、『そのおもいよりももっと強いものを持っているぞ』ということをピッチで表現しないといけないとすごく意識していました。『それだけすごいファン・サポーターのおもいを背負っているんだぞ』ということを選手一人ひとりが意識して、自覚をして、責任を持ってプレーしなければいけない。そういうことを、これからレッズに来る選手、来年以降もレッズに残る選手には意識してプレーしてもらいたいなと、僕自身は思っています。
責任は言葉ではなかなか伝わらないと思いますし、意識できないと思いますが、埼玉スタジアムのピッチに立ったときは心が高ぶりますし、常にレッズのエンブレムを背負って戦うことを意識してプレーしてもらいたいです。自分自身はそういう気持ちで12年間プレーしていましたし、いろいろな方々から『宇賀神選手からそういう気持ちを感じられました』とたくさん言ってもらえていますので、そういうことを意識してプレーしてきて良かったと本当に日々感じています」
(宇賀神選手はサイドの選手で目の前の相手がはっきりするポジションでありながら、いつもチーム全体のことを見て、発言したり、本当に見えていたりというのがあったと思うが、チームのためにプレーすることや他の選手を生かすところは、どういう心構えでやってきていたのか?)
「心構え…自分としては特に意識しているわけでもなく、いつも通りにしているだけですが、自分の考え方として、自分が良ければすべてOKと考えているわけではありません。最終的に全員が活躍できて、勝って、優勝できれば一番良いという考えを本当に常に持っています。そのために自分が何をすべきか、他の選手が何をすべきかと考えていることが一番だと思います。レッズというクラブもいろいろな人の支えがあって、これだけのクラブになっていると思いますので、どうすればレッズがもう一度アジアチャンピオンになれるのか、J1リーグで優勝できるのか、それを常日頃から考えている結果なのかなと思います」
(宇賀神選手のプレーや振る舞い、反骨心などは、ファン・サポーターとの関係にも通じる部分かもしれない。例えば、ある試合で悪いプレーをしたら、次の試合は絶対に見返してやる、というようなことを続けて、いつの間にか12年間が経っていたという部分があるのではないか?)
「それは今までを振り返っても、うまくいかなかったときに修正をして、起きてしまったことを絶対にプラスに変えて、というような人生だったと思います。レッズというクラブは自分にとって、マッチしていたんだなとあらためて思います。ファン・サポーターのみなさんは特に厳しい目で、厳しい意見をぶつけてきてくれたので、それに対する反骨心みたいなものは持っていました。自分はストレートな性格なので、思ったことを口にするし、思ったそのときに抱いた感情をストレートに表現していたので、ファン・サポーターの方たちとはぶつかる回数も非常に多かったですが、そういった出来事が自分を強くしてくれたなと思っています」
(12年間でJ1リーグは300試合近く出場し、他の大会を含めるともっとたくさんあるが、印象に残っている試合や、やり直したいと感じる試合は?)
「この質問があるなと思って、いろいろと考えていましたが、2014年のガンバ大阪と対戦した試合、勝てば優勝という試合です。0-0の状態で、自分がシュート打って東口(順昭)選手に止められてしまったシーンがありますが、自分の中でどれが印象に残る試合かと考えたときにパッとそれが浮かんできました。今でも、あのシチュエーションが、あのピッチに立っている自分が浮かんできます。あれを決めていればレッズにJ1リーグ優勝をもたらすことができていた。『なんで決められなかったんだろう』という悔しいおもいが今でもずっと心に残っています。
このクラブに対して『恩返しをしたい』というおもいで帰ってきて、恩返しと言ったらクラブにタイトルをもたらすことだと思っていますし、強い気持ちを持ってレッズに入ってきました。自分の中で、J1リーグで優勝できなかったのは、すごく心残りですし、あの試合で優勝を持って来られなかった、あのチャンスを決め切れなかったことをすごく悔やんでいます。自分の得意なコースでしたし、流し込めていればというのは、すごくあります。
もう一つ印象に残っているのは、2017年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)決勝、埼玉スタジアムでの第2戦です。ピッチに立った瞬間に涙が溢れてきました。試合前に、実はもう泣いていて、涙がポロポロこぼれてきました。中学生で初めてレッズに入って、プロになれなかった。一度レッズを出て行って、また戻ってきた。そういうことが、あのビジュアルサポートを見たときに、フラッシュバックでパッと頭の中に浮かんできました。そんな自分がこのピッチに立っているんだ、ここでアジアチャンピオンになることができるんだ、ということを考えたときに、並びながら涙が出てきたということがすごく印象として残っています」
(阿部選手の引退、宇賀神選手と槙野選手の退団が決まり、2017年のACL優勝を知っている選手は2人だけになる。勝ち上がるコツがあると思うが、そういうことに関して何か残していきたいものは?)
「僕はタイトルを3つ獲りましたが、やはりホームでファン・サポーターの大声援が自分たちを後押ししてくれたというのが一番です。綺麗事になってしまうかもしれないですが、本当にあのファン・サポーターが自分たちに力を与えてくれました。2017年のACLで優勝したときも、ホームは全勝だったんですよね。J1リーグのタイトルは獲れませんでしたが、J1リーグもうまくいかない時期にホームで試合があると、『ここで一つ勝てば勢いに乗れる』っていうことはありました。言葉では説明できませんが、ホームで勝って、ファン・サポーターの人たちと一つになるということが、優勝するために一番必要なことだと思います。
新しく入ってきた選手は、(コロナ禍の制限で)まだそれを体験していません。一度それを体験してもらって、『宇賀神さんが言っていたのはこういうものなんだ』ということを感じてもらい、うまくいかないときや、ここで勝たないといけないときに、ファン・サポーターの声援や気持ちを背負ってプレーしてもらいたいです。それは、これから勝ち取っていくために必要なことだと思います。僕のこの会見の記事を見てくれたファン・サポーターの方たちには、そういう意味でもレッズを後押ししてほしいですし、今までみなさんが送ってくれた声援は、自分たちに届いていたんだということを伝えたいですね」
(来季のACLに挑むためにもJ1リーグだけでなく天皇杯が残っている。宇賀神選手には優勝した2018年の天皇杯での活躍があるが、天皇杯についてのおもいは?)
「SNSに、いろんな方から『天皇杯頼んだぞ』とメッセージが来ています。『宇賀神、あの再来を頼んだ』と言われますが、あれ(決勝のベガルタ仙台戦のゴール)は一生に1回しか出ないんじゃないかなと自分自身でも思っているところがあります(笑)。でも、最後は優勝できるように、できる限りのことをやりたいと思っています。
僕はトレーニングですごく調子が良くても、『何でもできちゃうな』と思うことがあまりないタイプです。どちらかと言うと、トレーニングで調子が良いと試合が怖いというマイナス思考なんですね。トレーニングでシュートがたくさん入ると決められそうな気がするというタイプではなくて、試合前は常に不安と戦っている人間なんです。だけど、あの天皇杯はなぜか、『このまま俺、やれそうな気がするな』っていう気がしていました。鹿島アントラーズ戦で(後半アディショナルタイムに決定的なピンチで)クリアして、勝利に貢献できたときも、珍しく『決勝戦もやっちゃうよ』みたいなことをいろいろな人に言っていたんですよ、『次もやれそうな気がする』って。謎の自分でもわからないゾーンに入っていました。
そういう自分がいて、あの決勝戦のゴールの瞬間も本当に、冷静な自分がいたのをすごく覚えています。いろいろなところで言ったと思いますが、ボールがパーンと上がっている間、本当は一瞬だったかもしれないですけど、自分の中では10秒位な感じで、今まで練習してきたいろいろなセットプレーの形とか、前日に李(忠成・現京都サンガF.C.)選手に言われた『枠に飛ばしてくれれば絶対に俺が何とかしてやる』という言葉が、あのときにふっと沸きました。そういうゾーンに入っていたのが天皇杯の活躍だったと思っています。自分自身もいろいろな人にそう言っていただけるので、あの映像は何回も、何十回も何百回も見ました。ただ、印象に残っているかと言われると、悔しいことのほうが僕は印象に残りますし、自分の実力不足を嘆くわけではないですが、まだまだなんだと思います。まだまだ上手くなりたいと思うからこそ、悔しい思いが浮かんでくるのだと思います」
(槙野選手は11月5日ごろにクラブから提示されたと話していたが、宇賀神選手の場合は、いつ頃でどういうシチュエーションだったのか?)
「日にちは覚えていませんが、その1週間後くらいでした。クラブから呼ばれて『来シーズン優勝するためにチームを作っていく上で、戦力としては考えられない』というふうに言われました。自分自身は、レッズで引退するという夢を持っていましたし、自分がレッズ一筋で引退することで、今いる育成組織の選手に、新たな目標や夢を与えられたりすると信じていたので、その夢を叶えられないんだと、率直に思ったのが一つです。
僕自身だんだんと出場機会が減っていく中で、来年もレッズに残って、チームのために、チームが勝つために貢献しながら、レッズの選手で引退するのがいいのか、それとも他のクラブに行って出場機会を得て、プロサッカー選手として活躍の場を求めるのかっていうのは、すごく悩んでいたこの3ヵ月くらいでした。契約満了の話をもらったときにレッズに残るという選択肢がなくなったという悲しいおもいでもありますし、少しすっきりした自分もいました。
今まで育成組織を含めて18年間、レッズしか見ていませんでしたので、違う視点でレッズを見て、良いところと悪いところをしっかりと見て、また帰ってきたいなというおもいになりました。自分自身、また新たな道に進めるというワクワクした気持ちです。槙野と違って毎日泣いているわけではないですし、この会見も涙の会見という形にはならないと思いますが、現在は冷静に次の道はどういうふうに進むのかな、どういう自分になるのかな、レッズじゃない宇賀神はどうなるのかな、これから先どんな未来が待っているんだろう、ということで、前向きで楽しみな気持ちが大きいです」
(まだこれからのことは具体的には考えてないと話していたが、まずレッズでの戦いに集中して、それから考えたいということか?)
「そうですね。レッズで戦える、レッズの宇賀神として戦える試合は限られているので、そこに全身全霊を尽くしたいと思っています」
(先ほど槙野選手ほど毎日泣いていないと話していたが、実際、涙はあったのか?)
「1回だけです。1回だけありました」
(どのようなおもいのどのような涙だったのか?)
「どのようなおもいでどのような涙か…今、フットボール本部にいる土田尚史(スポーツダイレクター)さんとは本当に長い時間、一緒に仕事をしたので、尚史さんと話をしたときに、いろいろと込み上げてくるものがあって、そこで泣いたくらいです。昨日の試合も最後に一周、回っているときに泣きそうになりましたが、『まだ泣いちゃだめだな』と思いました。来週泣くからとっておこうと思いました」
(12年間で宇賀神選手がレッズに残せたものは?先ほど、タイトルを3つ獲ったと話していたが、そういう形でないものも残したのではないか?)
「平さん(平川忠亮コーチ)や、今までレッズの歴史をつくってくれた(鈴木)啓太さん、坪さん(坪井慶介)、(田中)達也さんといった選手から僕がプレーや背中で感じてきたものを関根が感じ取ってくれて、昨日のピッチで表現してくれたと思っています。そういうものを一人でも感じてくれる選手がいたというのが、自分の残したものなのかなと思います。次につなげることができたことが、自分が残したものかなと思います。
関根本人がどう思っているかは分かりませんが、自分自身、ピッチに立ったときに見に来てくれる人が自分のプレーから何かを感じ取って、『見に来て良かった。レッズって最高だな』と思ってもらえるプレーを常に心掛けてきました。昨日の関根のプレーは、まさにそういうプレーだったのではないかなと思います。見ている人の心が熱くなるようなプレーだったと思いますし、それが昨日の結果につながったんじゃないかなとも思います。自分と同じような気持ちを持った選手が、ああいうふうに一人、ましてや育成組織出身の選手で、そういうプレーを見せてくれたということが、自分が残せたものなんじゃないかなと思います」
(やり残したことはないか?)
「J1リーグで優勝できなかったことが、やり残したことですね。何回もチャンスがありました。自分が試合に出ていたということで、自分の実力不足を痛感しています。ファン・サポーターの人には申し訳ないと思います。自分がいた12年間で、これだけ試合に出て、ファン・サポーターの人にJ1リーグのシャーレをプレゼントできなかったことが心残りです。ブログでも言いましたが、必ずレッズに帰ってくると心に決めています。次に帰ってきたときにシャーレを掲げられるようにしたいと思っています」
(宇賀神選手はピッチの外でも浦和やサッカーのためにいろんなことをやってきた。台風でレッズランドが水没したときもクラウドファンディングを行い、今は女性のアスリートの支援をしている。そういう活動について、どうしていきたいと考えているか?)
「僕自身がそういう活動をなぜ始めたかというと、プロアスリートというものは、地域貢献・社会貢献をするべき立場の人間だと思っているからです。プロサッカー選手の中で、そういう活動をできている選手があまりにも少なすぎると思いました。自分自身がそういう活動をすることによって、これからのプロサッカー選手はこういうものなんだぞ、こういうことを当たり前にできるんだよ、という文化にしたいと思って始めたのがきっかけです。先輩を悪く言うわけではないですが、今までいたレッズの先輩からも僕は教わってこなかったので、それならば僕がやろうと思いました。そして今いる選手、今いるJリーガーが『宇賀神がやっているから自分もやってみよう』と思う第一歩になればいいかなと思って始めました。
レッズの選手じゃなくなったとしても、それは積極的にやりたいなと思っています。女子アスリートのマネジメントという部分でも、もっともっと女子アスリート、女性が世の中で評価されるべきだと思うので、そういう手助けをできればいいなと思って始めました。どんどん拡大して、女性アスリートの素晴らしさを広げていければいいと思いますし、サッカーだけではなく、もっといろいろな競技の人とも一緒に手を取り合ってやっていきたいと思います。現在、レッズレディースの3選手が自分のプロジェクトに所属していますので、僕の魂はその3選手に託したいと思っています」
(努力に勝る天才なしというように、宇賀神選手は本当に努力を重ねてきたが、そのおもいの中でどのように平川コーチを追い掛けてきたのか?)
「常に平さんに追いつきたい、平さんを越えたいと思って、レッズでプレーしてきました。平さんという目標がなければ、ここまで長く続けることはできなかったと思いますし、僕にとって本当に大きな存在だと思います。今、コーチとして毎日、一緒にトレーニングしていますが、コーチになってもそんなに口数が多い人ではないですが、たまに掛けてくれる一言が、自分の心に響きます。よく見てくれているなと思います。勝手にですが、愛情を感じながら、日々一緒にトレーニングや試合をさせてもらっています。自分にとっては本当に大きな存在となってくれる一人だと思っています」
(宇賀神選手にとってレッズとはどういう存在で、どういう場所だったか?)
「難しい…情熱大陸みたいになったね、一気に(笑)。レッズとは…僕のサッカー人生そのものです。レッズが僕のサッカー人生そのものなので、レッズはそういう存在だと思います。そして埼玉スタジアムは、僕の家です。常にアウェイが続くと、埼玉スタジアムが恋しくなって、埼玉スタジアムのピッチに立つと心が落ち着いて、家に帰ってきたんだなという気持ちにさせてくれました。埼玉スタジアムという場所と、その雰囲気をつくり出してくれるファン・サポーターのみなさんに感謝しています」
(ピッチ外の活動では、有名・無名に関係なくプロ選手にこだわりたいと以前話していたが、今後、浦和を出て自分を知らない人が多いかもしれない場所での活動に関して、その気概は変わらずに強いものか?)
「何度も言いますが、僕は逆境に立たされたほうが燃えるタイプです。知らない人がいてくれたほうが、その活動を経て宇賀神という選手がいるんだって知ってもらえるように、より考えるようになると思います。今はレッズがあるから僕のことを知ってくれる人もいると思いますけど、そうではなくて、みんなに知ってもらうにはどうしたらいいんだろうって考えるようになると思うので、より活動に力を入れたいっていうおもいでいます。それが今、質問をされて思うことですね」
(それが今後楽しみだと言っている部分の一つか?)
「そうですね。レッズというブランドがなくなったときに、あらためて自分の人間としての価値が問われるというところだと思うので、もちろん不安ですけど、ワクワクしています」
(ここ数年は、他の選手たちを活動に巻き込みながらやっていたが、後輩たちには伝えられた手応えはあるか?)
「いや、自分のことでいっぱいいっぱいすぎて、伝えたり巻き込んだりすることができなかったと思います。もうちょっといろいろな選手といろいろなことをして、その選手が自発的に行動に起こすということを、もう少ししたかったなという気持ちが正直あります。けれども、それは他のチームに行ってもできることですし、自分がやる活動に何かを感じ取ってもらえればいいかなと思っています」
(そういう面も含めたアドバイスは続けていくか?)
「そうですね。もちろん続けていきたいと思います」
(今後も、ピッチ外での活動は続けていくか?)
「もちろん続けていきます。何一つやめることはないです。僕は引退するわけではないですし、ただただレッズを離れることになってしまっただけなので、自分がやることはブレずにやっていきます。こうした活動を全国に発信するためには、ここにいるみなさんの力が必要なので、ぜひよろしくお願いします」
「最後に、ホームの埼玉スタジアムで戦うJ1リーグの試合が残っています。まずはワクチン・検査パッケージを含めると制限が30,000人までになるということなので、間違いなく30,000人の方が見に来てくれると信じています。そして、昨日の試合でもそうでしたが、たくさんの方に3番のユニホームを掲げていただいて、僕がレッズに残してきたものを、ファン・サポーターのみなさまの愛情を僕も受け取りたいと思っています。まずはぜひスタジアムに来てもらいたいです。そして、埼玉スタジアムでプレーできる時間は本当に限られてきてしまったので、ピッチに立つ時間を噛み締めながらプレーしたいなと思いますし、みなさんと最高の時間を共有したいと思っています。
そして最後、おそらくスピーチの時間があると思うので、そこで初めて泣いちゃうんじゃないかなと思いつつも、ここで伝えられなかったようなことや、ファン・サポーターのみなさんに直接、感謝の気持ちを伝えたいです。自分が今、思っている気持ちを伝えたいなと思っていますので、ぜひとも最後、埼玉スタジアムで走り回る僕の姿を見てもらいたいなと思っています。今日はありがとうございました」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】