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コラム「継続が力、名取で誓った思い」

「地震が起きた時間って、何時でしたっけ?」10月21日、午前8時過ぎ。仙台市内の宿舎を出た浦和レッズのチームバスは、名取市内を走っていた。見渡す限りの大平原の中、赤いバスに乗った9人の選手たちは「ここに大勢の人が住んでいたようにはとても見えない…」と率直な言葉を漏らしながら、その目は大事なものを一つも見逃すまいと、丹念に窓外の光景を見つめていた。








と、そのとき、ある選手が小さく「あっ」と言った後、誰にともなく、地震発生の時間を訊いた。
「2時46分だよ」
スタッフが答える。
「あの時計…」
他の8人は、一斉にその選手の目線の先にある時計を見つめた。時計は、名取市閖上(ゆりあげ)中学校の3階建て校舎の正面玄関の上で「2時46分」を指したまま止まっていた。



選手たちはそこに行く前、すでに閖上湊神社に足を運んでおり、慰霊碑の前で手を合わせ、宮司の伊藤英司さんから震災についての話を聞いていた。
大平原のまっただ中にぽつんと残された小高い丘から見渡す風景は、震災前、そこに豊かな住宅街や商店街が広がり、多くの家族が平穏な日常を過ごしていたとは想像しにくいものだった。それほどに、何も残されていなかった。
それぞれに胸を打たれる思いがあったのだろう。神社から閖上中に向かうまでのバスの車内には厳粛さと沈痛さの入り交じったような空気が流れ、シーンと静まりかえっていた。その空気にコツンとスイッチを入れたのが、2時46分で止まった時計だった。

「生徒たちはここの屋上に避難して、地震から約1時間後に押し寄せてきた津波を見たのです。津波は3階まで達しました」
地元関係者の説明を聞きながら、選手たちは口々に「3階のところに津波の跡が残っている」と言って絶句した。近隣に1軒だけ形が残っていた家屋(人は住んでおらず、窓などは割れたまま)の側に咲くコスモスの花と、無残な姿になった家屋に交互に目をやりながら、ため息をつく選手もいた。
国勢調査によると平成22年度の名取市の人口は7万3,134人(平成24年9月末7万2,579人)。世帯数は2万5,124(同2万6,664)で、この閖上地区にも約7,000人が住んでいた。だが、家のほとんどは流されてしまった。名取市全体の震災による死者は911人。行方不明者は43人という。

震災から1年半の時が流れたとは思えないほど何もない光景を目の当たりにし、選手たちは、これから行うサッカー教室に多少の不安を感じている様子だった。子供たちはどんなふうなのだろう?楽しんでもらえるのだろうか?
ところが、それは杞憂に終わった。会場の名取市立増田小では、市内のサッカー少年団の子供たち89人が、目を輝かせながらレッズの選手たちを迎えてくれた。聞けば、子供たちは、午前10時のスタート予定時間の2時間半前である早朝7時半から集まっていたという。
サッカー教室は、浦和レッズが誇る「ハートフルクラブ」のスタッフ伊藤健太コーチのスムーズなサポートの下、最初のじゃんけんゲームから歓声が沸き上がる活況を見せた。

さすがは「サッカーを通じて心を育む」という理念の下、日頃から子供たちに対して真剣に接しているハートフルクラブスタッフ。岩手県の被災地にもすでに4回訪問しているのだから安心だ。
そして、一瞬にして子供たちの心をつかんでしまうのが、トップチームの選手たちなのである。
リーダー格の山岸範宏、盛り上げ役としては天下一品の槙野智章、子供の前ではゼスチャーも声も大きくなる阿部勇樹、坪井慶介、なぜかいじられる宇賀神友弥、自分自身がまだ子供っぽさを残す原口元気、矢島慎也、そして、昨年の震災時も浦和を離れなかったマルシオ リシャルデス、威風を吹かせつつチャーミングな笑顔を見せるポポ。
時間はどんどん過ぎていき、あっという間に2時間弱のスケジュールは終了した。とりわけ、山岸が提案した「浦和レッズ対ちびっ子チーム」の試合は大変な盛り上がりを見せた。子供たちはもちろんのこと、見守る父母たちも本当に楽しそうだった。

少年団で指導する佐藤雄太さんによると、「子供たちの中には普段はおとなしくて引っ込み思案な子もいるのですが、プロの選手と接すると、いつも以上に声が出ていたり笑っていたりしていました」という。
子供たちの約1割は震災で家をなくし、今も仮設住宅やアパートなどに住まいを移しているそうだが、「震災の後も子供たちはすぐにサッカーをやりたいと言っていました」とのこと。子供たちの笑顔を取り戻そうと、佐藤さんたち大人は奔走し、昨年5月には活動を再開したそうで、現在は週2回、毎週土日に練習を行っている。

支え合い、できる限りのサポートを

今回の支援活動は、東日本大震災の復興を長期的に支援するため、浦和レッズと『国連の友アジア-パシフィック』が共同して実施している『東日本大震災等支援プロジェクト』の一環だ。
今まではハートフルクラブによる子供たちの心のケアや、サッカーを通じての支援活動、物資提供などを行ってきたが、今回は初めてトップチームの選手が被災地を訪れた。
地元の人は言う。
「子供たちの中には今も心に傷を負っている者もいると思うんです。今回はトップチームのプロ選手がこんなに大勢で来てくれて、うれしさも格別ですね。子供たちの顔が本当に輝いています」
震災から1年半がたったが、被害が大きかった場所ほど復興のスピードは遅く、また、自治体によって差が大きいというのが現状だ。この先も困難は続くだろう。
腰に持病を抱え、つえなしでは歩けないミシャ監督も、今回の被災地支援の全プログラムに同行し、笑顔でサッカー教室を見つめていた。
ミシャ監督は、「震災から1年半たったが、被災地はまだまだ難しい状況にある。子供たちの頭の中にも強く残っているだろう」と、子供たちの心中をおもんぱかり、「そういった中、楽しい雰囲気でサッカー教室をやることができて良かったと思うし、この思い出を胸に、これからも少しでも楽しく過ごせるようになってほしい」と言う。
そして、「形ある物は取り戻すことができるかもしれないが、失った家族などの命を取り戻すことはできないし、その哀しみは長く残ってしまう。だからこそ我々は支え合わないといけない。支え合うことで再び立ち上がって、前を向いて生きていけるのだ。これからもできる限り、サポートし続けていきたい」と力を込める。

サッカー教室で子供たちに大人気だった山岸は、「想像していた以上に子供たちは明るく、サッカー教室での元気さには圧倒されるほどでした。ただ、初めて被災した場所を間近で見て、その光景から被害の大きさをあらためて肌で感じています。家族や家をなくされた方々の気持ちを考えると、哀しみでいっぱいになってしまいます」と神妙な面持ちで語った。
槙野も「震災から1年半という時間がたちましたが、復興にはまだまだ時間がかかると感じました。これからも、フットボールの力で何ができるかを考えながら、継続して力になっていきたいです」と真剣な表情を浮かべる。
思い返せば1年半前。驚愕と悲しみに包まれていたあの時期、レッズの選手たちは口々に、「サッカー選手である自分に何ができるのか自問自答し、無力感を感じた」と言っていた。だが、その思いはすぐに具体的な行動へと姿を変えた。
「できることから始める」と、さいたまの街で街頭募金活動を自発的に行った。個人単位での支援活動を行った選手も多かった。誰もが、じっとしていられない熱い気持ちを自分たちにできることで示し、被災地に向けた。
あれから1年半。時折やってくる余震にふと喚起させられながらも、ともすれば震災復興への思いを忘れがちになってはいなかったか。
名取市でのサッカー教室を終え、選手たちはこぞって「子供たちの笑顔がうれしかった。こういう活動をできるだけ続けたい」と話していた。レッズのスタッフは「10年は続けなければ」と言う。
継続は力。継続が力。
自分を見つめ直し、新たな気持ちで再開したJリーグに臨んだ昨年を思い出したように、選手たちの表情は晴れ晴れとし、そして力強く引き締まっていた。
(矢内由美子/RED TOMORROW編集)

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