MENU

NEWS

槙野智章 記者会見 コメント

17日、契約満了に伴って今シーズン限りでチームを離れることになった槙野智章の記者会見がオンラインで行われ、メディアからの質問に答えた。

【槙野智章】
「みなさん、こんにちは。今日はお忙しい中、ありがとうございます。私事ではありますが、時間のある限り、みなさんの質問に答えていきたいと思います。こうしてみなさんの顔を見ると、知っている人ばかりだと思って落ち着く反面、しっかりと話せるだろうかと思っています。よろしくお願いします」

(昨日の発表の際にもコメントを寄せていたが、あらためて今の心境はどうか?)
「あまり整理はついていません。11月5日に言われて、時間は経ちましたが、今になっても自分の中で答えを導き出せていません。整理がついていない状況です」

(槙野選手は常日頃からチームを盛り上げ、引っ張り、そしてピッチの中では常に全力でプレーし続けてきたと思うが、浦和レッズの選手としてどういうおもいで戦ってきたのか?また、そういうところをチームメートにどのように受け継いでほしいと思っているか?)
「プロになって16年、レッズに来て10年が経ちましたが、毎日のトレーニングを楽しむこと、100パーセントでやることは自分の中で大事にしてきました。それが自分の良さであることは分かっていますし、トレーニングや試合を心から楽しんできました。自分が伝えなければいけないことは、言葉でもそうですが、普段のトレーニングやプレーする姿を感じ取ってもらえれば、伝わる方もたくさんいると思っています。

今日は外からトレーニングの雰囲気を見ていましたが、少し心配でした。引っ張る選手やリーダーが出てきてくれればいいなと思いますが、逆に心配しています」

(心配する中でも、チームを引っ張ってほしいと期待している選手はいるか?)
「興梠(慎三)選手と西川(周作)選手とは長くやっていますし、ベテランの意地を見せてほしいと思います。同じポジションの岩波(拓也)選手にはディフェンスリーダーとして引っ張っていってほしいと思います」

(槙野選手はずっと戦い続けてきたと思う。加入した前年はレッズが苦しい状況だったので、停滞した雰囲気もそうだったろうし、ポジション争い、対戦相手、SNSを通した世間とも戦っていたかもしれない。ラジオをやったり、代表取締役をやったり、時間との戦いもあったかもしれない。ずっと戦い続けてきた原動力は何なのか?)
「僕がレッズに来た2012年には、2011年の残留争いの結果や様子をクラブ関係者や選手から伝えていただきました。僕が加入してできることは何かと考えたときに、まずはチームの結束を深めることと、チームとファン・サポーターが一体となって戦うこと、プラス、フロントフタッフも同じ方向を向いて戦わなければいけないと思い、まずはそこを整理しました。

昔、僕が見ていた浦和レッズの強さや素晴らしい雰囲気をまた作り出したい、自分が入ったときに後押ししていただきたい、タイトルを獲った2006年、2007年以上のものを作り出したいと思い、いろいろな動きを始めました。そのうちの一つとして、試合後に『We Are Diamonds』をみんなで歌うことを提案しました。提案した当初は『よそ者が勝手なことをするな』など、いろいろと言われましたが、これまでレッズを引っ張ってきた先輩方が、『こういうことをやりたかったんだよね』と言ってくれました。『あの時間がすごく好き』と言ってくれるファン・サポーターの方々もいました。なので、続けることができました。

みんなが嫌がることを率先してやりました。全てはクラブを強くしたい、一人でも多くの方にスタジアムに来てもらいたい、レッズを好きになってもらいたい、というおもいでいろいろとやってきました。少し勘違いされるような受け取り方をされることもありましたが、そばにいてくれたのはレッズの選手やスタッフ、ファン・サポーターでした。自分が言ったこと、やったこと、行動を起こしたことは僕の財産です」

(槙野選手がレッズに加入して2、3年のころにインタビューさせてもらったが、引退後にはJリーグの監督をやりたいと言っていた。その目標は今も変わっていないのか?)
「次の目標として、監督になって帰ってきたいと思っています。今は新庄剛志さんが野球界を盛り上げていますが、『あの選手を観たい』と思ってスタジアムに行くファン・サポーターは多いと思いますが、『あの監督を観に行きたい。あの監督が指揮するチームを観たい』と思ってもらえるような監督になって戻ってきたいと思っています」

(槙野選手をユースのころから見ていても初めてみたような顔をしているが、どうして涙が出るのか?11月5日に話があったということだが、どういう理由で契約満了と説明されたのか?それを聞いてどういう気持ちになったのか?)
「契約のことに関しては、チームのことなので全てをここでお話しするのは難しいですが、通達されたときには『まさか自分が』というおもいは正直ありました。11月5日に受けて、今日は11月17日ですが、毎日泣いています」

(泣いているのは、やり残したことがあるからか?それとももっとレッズにいたかったからか?)
「このクラブが好きだからです。これまでの長い歴史の中で、たくさんのレジェンドの方々がいますし、僕はよそから来ましたし、たかが10年かもしれませんが、僕にとってこの10年はすごく濃かったです。大好きなクラブで、ずっといたかったですし、このクラブで引退したかったと思います」

(まだ引退を選ばないと思うが、やり残したことをやるために他のチームでチャレンジするという気持ちなのか?)
「他のクラブで同じような情熱を持って、違うユニフォームを着てプレーする想像は、今はあまりついていません。毎日どうしたらいいのだろうと思っている状況ですが、自分でもどうしていいか分かりません」

(シーズンが終わるまで考えて、オファーが来たら決めるということか?)
「そうですね」

(10年間プレーして、広島でも一緒にやっていたミハイロ ペトロヴィッチ監督と同じタイミングでレッズに来たが、前半はペトロヴィッチ監督とそれまでやってきたことをレッズで発揮する5年くらいだったと思うが、次の5年間は違うことを求められ、自分を変えていかなければいけないこともたくさんあったと思う。そういう意味でのレッズでの10年間をどう感じているか?)
「ペトロヴィッチ監督が僕をレッズに連れてきてくれて、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)の戦術で輝ける選手、ミシャのピースに合う選手ということで、彼が求めるプレーを最大限発揮しました。ただ、時間とともに、自分はこうしていかなければならない、チームが勝つためにどうすべきかということを考えるようになっていきました。その中で、(アルベルト)ザッケローニ監督や(ヴァヒド)ハリルホジッチ監督から日本代表に呼ばれ、どうしたら日本代表の選手であり続けられるのかということにシフトチェンジしてプレーを選択するようにもなりました。

前半の5年間、後半の5年間で僕のプレースタイルは変わりましたし、考えることも変わりました。その中でたくさんのタイトルを獲ったり、ワールドカップに出場するという夢を叶えることができたのも、たくさんの監督の指導のおかげですし、自分がこうしていかなければいけないという方向展開ができたこともあったと思います。どういう監督の下でどういうプレーをしなければならないかを考えながら過ごした10年間だったと思います」

(ミシャ監督のときは森脇(良太)選手や西川選手といった以前から知っている選手が加入したり、興梠選手とも長く一緒にプレーしたが、そういう絆があった10年間であり、阿部勇樹選手が引退するなど、時間の流れを感じる時期でもあると思うが、周りの選手へのおもいはどうか?
「先日オフがあったときに、興梠選手と2人で昔の映像やゴール集を見たりして、『すごかったね』とか『またみんなでやりたいね』とか『みんないい顔をしているね』とか、そんな話をしながら映像を見ていました。少し時間があったときにレッズから離れた選手も含めて集まる機会がありましたが、『やっぱり浦和レッズって特別だよね』ってレッズから離れていった選手たちもみんな言っています。ここで過ごした10年間はすごく特別です。

ファン・サポーターの方にも『仲良し集団じゃダメだ』とよく言われますが、僕らは仲が良すぎるんですよね。ピッチから離れても、『オフくらい家族と過ごせよ』と言っても、すぐに『ご飯を食べにいこう』とか『ゴルフに行こう』とか、すぐ集まるんですよ。10年前と変わらず、今もそうです。その中に自分もいられたのはすごく幸せです。でも、それが今後できなくなることはすごくつらいです」

(レッズでの10年間で最も思い出に残っている試合、出来事は?)
「選べないですよ。いい試合もいい思い出ですし、負けた試合も僕にとってはいい思い出です。その中でも、2017年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)の決勝は特別なものがありました」

(今日は槙野選手の涙に一番驚いているが?)
「僕の画面でメディアのみなさんの顔が映っているんですよ。ビデオをオフにしていれば大丈夫だったと思いますが、みなさん一人ひとりの表情も、マスクをしていても伝わります。先ほどは『選手とスタッフとファン・サポーター』と言いましたが、僕にとって10年間で築き上げてきたものは、ここにいるメディアのみなさんとの関係もあります。

30分くらい前からここにいて、今日は誰が来ているのかと思って調べたら、知っている方ばかりでした。試合後もプライベートの話、関係ない話ができるくらいの方たちがここにいるので、僕にとってみなさんの存在も特別でした」

(レッズで引退したかった、契約満了で「まさか自分が」という話をしていたが、レッズでの心残りはあるのか?)
「やってきたことに悔いはないですが、終わり方、このチームを去る形は心残りです」

(先日、引退を発表した阿部勇樹選手とは何か話をしたのか?)
「満了になったときは最初に阿部選手に報告しました。誰に報告しても『冗談だろ?』とか『動画回っているんだろ?』とか言われますが、『冗談ではありません』と言って、それから冷静に色々な話をしました」

(阿部選手からはどんなことを言われたのか?)
「阿部選手も引退発表前でしたので、僕もストレスをかけたくありませんでした」

(槙野選手はピッチ内外で努力をしながら努力をあまり人には見せなかったと思うが、努力しながら常に成長し続けてきたと思う。そんな槙野選手が浦和レッズで得たものは?)
「自信ですかね。こう見えて自信はあまりなくて、自分がやることによって自信を得てきましたし、周りに見せないといけないということも、人前に立って発言することは、それだけのことをやってこなければいけませんし、見せていかなければいけません。この10年間、フィジカル的にもメンタル的にも自信をつけさせてもらったと思います」

(得たものを新天地で出していかなければいけないと思うが、前を向くためにどうしていくべきだと考えているか?)
「まだ整理できていませんし、まず今の現実を受け止めなければ前には進めないと思っています。時間をかけてでも今の自分の状況をしっかりと整理して、今後の自分に何が必要なのか、自分が何を求めているかを考えて整理して、次のステージに向かっていきたいと思っています」

(リカルド ロドリゲス監督とのコミュニケーションも槙野選手が引っ張っていったところが大きいと思うが、通達があった中でリカルド監督とはどういう話をしたのか?)
「リカルド監督がレッズに来た当初から面談を含めてたくさん話をしてきました。今回の件に関してもリカルド監督とたくさん話をしました。通達があった後もたくさん話をしました。スペイン人なのに日本の良さ、日本の文化、日本人の特長を理解している方なので、逆に僕が迷惑をかけてしまったと思います。通達された後の僕の表情や雰囲気を見て、『自分の通達の仕方が悪かったのか?』、『嫌なことを言ってしまったのか?』、『つらいことを言ってしまったのか?」という心配をさせてしまいました。僕は『そんなことないですよ。監督は監督の仕事をしてくれましたし、正直に物事を言ってくれたので感謝しています』と伝えましたが、逆に僕が心配をかけてしまったと思っていますし、日本人の良さを知っている選手おもいの監督だと思います」

(シーズンの前半戦は試合に出続けていて、変わっていく浦和レッズの中で手応えもつかんでいたと思うが、浦和レッズが変わっていかなければいけないということも過去2シーズンの苦しい経験の中で感じていたと思う。変わらないといけないと考えている中で、クラブが契約を更新しないと判断したことをどう受け止めているのか?)
「クラブから通達された理由は、ここで全て話すことは難しいですが、クラブが求めることを理解することはできませんでしたが、それを今後、来年どういうふうに変わっていくかを見てみたいですし、楽しみではあります。クラブが掲げる狙いがあるならば、『俺がいなくてできるのか?』というのが正直な気持ちですが、その狙いとすることに向けて、最後まで一緒にやりたかったというのが本音です」

(槙野選手は試合でビハインドになっても下を向かず、下を向きそうになる選手を鼓舞したり、負けても下を向いて帰ってきたりすることはなかったという印象だが、10年間の中で上を無向くこともつらいほど悔しかった試合は?)
「(明治安田生命 2016Jリーグ)チャンピオンシップ(決勝)で負けたときはつらかったです」

(Jリーグで3位になることは難しくなったが、レッズが天皇杯で優勝して来季のACLに出る意義についてどう考えているのか?)
「来季はどういうメンバーが入ってくるか分かりませんが、まずはアジアに返り咲く、アジアの舞台で戦う力をこのクラブは持っています。何よりも、苦しいときを経験する、難しい状況を跳ね返したときに成長することを知っています。Jリーグでも力を付けることはできますが、ACLの舞台での成長の幅はものすごく大きいです。経験していない選手、今は若い選手が多いですが、それをチームとともに、一緒に乗り越えて強くなってほしいと思います。レッズはACLの舞台に行かなければいけないと思っています」

(去年コロナ禍でJリーグが中断していた際のオンライン取材で、監督ライセンスを取得するために勉強していると言っていたが、今はどのライセンスの取得が進んでいるのか?)
「今はB級ライセンスを受講中です。講義も終わり、実技指導に入っています。昨日もそうですし、今日もこの会見が終わったらジュニアユースに実技指導に行きます」

(先日、日本サッカー協会の反町康治技術委員長が日本代表20試合以上出場でA級ライセンス取得の要件を緩和すると言っていたが、その対象になるのか?)
「はい、対象です」

(槙野選手はレッズを愛し、リリースでも「とても悲しいです。寂しいです」というコメントがあったが、槙野選手が去っても、仮に引退したとしてもクラブは残り続ける。監督として帰ってくるかもしれないが、5年後、10年後のレッズにどういうチームになってほしいか?)
「アジアを代表するクラブになっていかなければいけないですし、チームの規模やファン・サポーターの力強さを含めて、アジアを代表するクラブだと思っていますが、毎年J1リーグでは優勝争いをするクラブ、毎年アジアの舞台に立って、ACLでもチャンピオンを狙えるクラブになっていかなければいけないと思っています」

(槙野選手がレッズに加入した2012年はACL出場権を争う名古屋グランパスと最終戦で対戦し、槙野選手がFKを決めて逆転で3位に滑り込んだ。今季は最終節までにまだ2試合あるが、最終節でACL出場権を争う名古屋と対戦する。槙野選手に用意されたシナリオではないかとも思うが、残り試合に向けた意気込みは?)
「誰一人諦めていません。天皇杯があるとはいえ、J1リーグで3位以内を目指して今もしっかりとトレーニングを積んで、週末の試合に向かっています。2012年の最終節で奇跡がありましたが、今でもたまに見ます。試合が終わった後に、埼玉スタジアムで(場内MCの)朝井(夏海)さんが「逆転でACL出場権を獲得しました」と言ったときに、埼玉スタジアムが沸いた動画を結構見ます。そういう奇跡をまた起こしたいと思っています」

(加入2年目の夏にインタビューしたときに、浦和や広島のサッカー文化について聞いたが、浦和と広島も静岡とともにサッカー御三家と言われていた中、広島はプロスポーツといえば広島東洋カープで、スポーツ番組にしても8対2くらいでなかなか扱ってもらえないが、浦和はサッカーの文化が根付いていると言っていた。あれから8年が経ち、レッズというクラブ、チーム、観客、埼玉スタジアムや浦和駒場スタジアム、浦和の街、浦和というひとくくりの言葉で捉えて、浦和のサッカー文化をどう感じてきたか?)
「浦和に特化して話しますと、日本屈指のサッカー熱を持った街だと今でも感じています。埼玉県のサッカー熱、サッカー文化が日本全国で起きれば、もっと盛り上がるでしょうし、入場者数を含めたいい現象がもっと起きると思います。浦和や埼玉県のサッカーの熱は、日を追うごとに僕もびっくりするくらい感じています。

勝ったときは街の方たちが温かく迎えてくれますし、負けたときの反応で『この街にはサッカーが大好きな人が多いんだ』と感じました。レッズに加入したときはさいたま新都心に住んでいましたが、隣の人やマンションの住人を含めて、街を歩けば『昨日は勝ってすごかったね』と言われますが、負けたときは『なんで負けたんだ』、『なんであんな失点をするんだ』という話をダイレクトにされました。でも、それがすごくうれしかったですし、それを求めていました。この街に来られて良かった、このクラブに来られて幸せだとずっと思っていました。

大宮でご飯を食べているときに、大宮(アルディージャ)のサポーターの方といろいろな話をしたこともあります。同じ県をホームタウンとするクラブが2つあり、サッカーに対して普段の食事のときから自分が応援するクラブの好きなところを言い合い、それをおかずにしているというのはものすごく幸せな街だと感じました。何度も言うようですが、僕はそういう街に来られて、そういうクラブに来られて幸せでした」

(レッズでユニフォームを脱ぐという選択肢もあったと思うが、現役を続けようと思った原動力は何か?)
「まだ自分はできるという自信もありますし、まだまだピッチの中でやらなければいけないことがあるのではないかと今でも思っています。10年いても、タイトルを獲っても、まだやり残したことがたくさんあります。リーグチャンピオンもそうですし、アジアの舞台に返り咲かなければいけないという使命も残っていると思いますし、まだまだ自分がやらなければいけないことだと思ってやっていました」

(クラブのリリースのコメントの中に、「また埼玉スタジアムに帰って来た際には、今まで浴びせたことのない特大の大きな大きなブーイングをしてください」とあったが、埼スタに乗り込んでレッズと対戦することに関して思うことはあるか?)
「本音を言えば、やっぱり試合をしたくありません。違うユニフォームを着てプレーする姿を見せなければいけませんが、レッズ相手に違うユニフォームを着て戦う姿は僕も想像できません。それくらい難しい状況です」

(J1リーグ残り3試合でどういったプレーをチームメートやファン・サポーターに見せたいか?)
「昔と変わらず、ひたむきに熱いプレーを見せたいです。今回のリリースを受けて、僕に対するおもいをいろいろな人が持っていたり、いろいろな意味で注目したりしていると思います。それを跳ね返すくらい、元気な姿を見せないといけないと思っています」

(残り3試合でゴールを狙うか?)
「お祭り男なので、盛り上げなければいけないですし、そういうものを持っている男だと思いますので、狙います」

(11月5日に通達されたということだが、その2日後の11月7日にアウェイの県立カシマサッカースタジアムで明治安田生命J1リーグ 第35節 鹿島アントラーズ戦があった。どんな気持ちで試合に臨んだのか?)
「気持ちの整理がついていない状態だったことは今でも覚えていますし、ピッチに入ったときにはやらなければいけないと思っていましたが、まさかこの状況で興梠選手と2トップを組んでプレーするとは思っていませんでした。僕にとってはものすごくいい思い出ですし、また新たな一面を出せたと思いますが、ピッチに入ったら、チームのために、ゴールのために、勝利のためにプレーしました」

(相当な覚悟を持ってレッズに移籍したと思うが、最初はレッズのファン・サポーターの中にもいろいろな意見があったと思う。10年経ち、レッズのファン・サポーターにどんなおもいを抱いているのか?)
「いろいろとありましたし、いろいろと言われてきましたが、レッズのファン・サポーターの方がいなければ、僕のこの10年間の成長はなかったと思います。数々のタイトルを含めた分岐点もそうですし、ワールドカップ出場に向けた意味でも成長させてもらいました。何よりもあの『We are REDS!』のコールや、『歌え浦和を愛するなら』という歌がありますが、スタンドが揺れるあの景色、ピッチから見るファン・サポーターの方が作り出す雰囲気は、今でも忘れられません。実力以上の引き出してくれる仲間がいたことは、僕にとっては心強かったです。入団したころのイメージよりも、10年経った今は強い絆で結ばれていると思っています」

(今回のクラブからの通達は重く受け止めたと思うが、奥様や広島で応援されているご両親には報告したのか?)
「妻には通達を受けてすぐに報告しましたし、家族にも連絡しました」

(どのような反応だったのか?)
「妻は、僕がレッズでプレーする姿しか知りませんし、『レッズでプレーしている姿が大好き』と言ってくれていました。妻の家族も毎試合スタジアムに来て応援してくれていました。みんな大好きなんですよ、レッズが。そういう姿を見せられなくなるのはつらいです。妻と出会って最初のデートをゲットしたのもレッズの試合が条件でした。レッズで1試合2ゴール取るという条件を僕が突きつけて、それを達成できたからデートにこぎつけて結婚できました。妻にとっても浦和レッズはかけがえのない特別なチームだと思います」

「最後に、今日はみなさん、お忙しい中、ありがとうございました。涙する場面が多く、聞きづらいところ、見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。このクラブで得たもの、10年間過ごしたことは僕にとってものすごい宝物になりました。チームが目指すACL出場に向けて、天皇杯のタイトル獲得に向けても、まだ試合が残っていますので、最後の最後までチームをよろしくお願いいたします。自分の言葉でみなさんに挨拶できる場を改めて設けていただけるということなので、そこでもう一度みなさんにご挨拶したいと思っています。残り少ない日数になりましたが、最後までどうぞよろしくお願いします。今日はありがとうございました」​

【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】



PARTNERパートナー

  • ポラスグループ
  • Nike
  • 三菱重工
  • 三菱自動車
  • エネクル
  • DHL
  • ミンカブ・ジ・インフォノイド
  • チケットぴあ