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レッズランド20周年記念セレモニーを開催

4日(月・祝)、浦和レッズが運営する総合型スポーツ拠点「レッズランド」にて、20周年記念セレモニーが開催された。
レッズランドは、2005年7月17日にプレオープンし、Jリーグの理念である「Jリーグ百年構想~スポーツで、もっと、幸せな国へ。」を具現化し、地域スポーツ文化の醸成を目的として誕生した施設である。
サッカーにとどまらず、多様なスポーツと人々が交わる地域に開かれた場として歩みを重ねてきた、浦和レッズの活動拠点の一つである。
当日は、好天にも恵まれ、会場には多くの来場者が集い、キッズフェスタ2026など各種プログラムも実施されるなど、世代を越えてスポーツを楽しむ光景が広がった。
セレモニーでは、20年前のオープニングイベントにも臨席したJリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏、そしてレッズランドの生みの親である犬飼基昭氏(浦和レッズ元代表)をゲストに迎え、20年の歩みと未来への展望が語られた。



セレモニーは、レッズランド理事であり浦和レッズ後援会理事長を務める猪股和則氏の開会宣言で幕を開けた。冒頭では、地域とともに歩んできた20年への感謝とともに、「この一日を来場者とともに楽しみたい」と呼びかけた。



来賓として登壇した清水勇人さいたま市長は、誕生当時を振り返り、「Jリーグ百年構想を早期に具現化したのが、犬飼社長(当時)率いる浦和レッズのレッズランドだった」と述べた。あわせて、レッズランドは先駆的な取り組みであり、さいたま市が掲げる「スポーツで日本一笑顔あふれる街」の原点であり、市民の誇りでもある存在だと語り、継続的な連携への期待を示した。



また、伊藤仕さいたま市議会議長は、他都市との交流の中で「サッカーの話題になると、浦和レッズの存在によってさいたま市は力強い都市だと評価される」というエピソードを披露し、浦和レッズの存在がさいたま市の誇りや都市のイメージ向上につながっていることを紹介した。



続いて行われたトークセッション第1部「Jリーグ百年構想パート」では、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏が登壇。朝井夏海氏(浦和レッズ場内MC)の進行のもと、サッカージャーナリストの大住良之氏とともに、レッズランド誕生の意義を語った。

川淵氏は、当時犬飼氏から連絡を受けて初めてこの地を訪れた際、「自分の理想とする”誰もがスポーツを楽しめる環境が実現している」と強い感動を覚えたと振り返り、「ドイツのスポーツ施設デュースブルク(スポーツシューレ・ヴェダウ)に匹敵する施設だと感じた」と語った。さらに「これ以上望めない施設だと思い、あいさつの際に大泣きした」と当時のエピソードを明かした。
また2019年の台風による水没被害についても言及。「再生は不可能だと思ったが、地域の方々やボランティアの方々の力で復活した」と語り、その背景にあった「義理と人情」を超える強い思いに感謝を示した。




また、司会から「キッズフェスタをご覧になってどう感じたか」との問いかけがあり、これを受けて川淵氏は、「子どもたちの笑顔があふれている様子を見て、日本も変わってきたと感じた」と述べた。そのうえで、子どもたちにとってこうした施設や環境の重要であるとする一方で、十分に整備されていない現状にも触れた。
加えて、「日本はまだスポーツ一流国とは決して言えない」としながらも、子どもたちが芝生の上で飛び回り、走り回り、寝転がったり、自由に体を動かせる環境の重要性を強調した。「勝敗だけでなく、”負けてたまるか”という負けじ魂が、遊びの中で自然に育まれることが大切」と語り、レッズランドのような場の意義を改めて示した。
また、「運動能力に関係なく、誰もが楽しめる新しいスポーツをレッズランドで生み出してほしい」と述べ、既存の競技にとらわれない発想で、スポーツが苦手な人や、いわゆるスポーツ嫌いの人でも「面白い」と感じ、その日から楽しめる場所となることへの期待も寄せた。その後、新たなスポーツの創出に話題が及ぶと、司会からの呼びかけに「筆頭となってチャレンジする」と応じるとともに、競技名についても「ぜひ付けさせてもらえれば」と笑顔で語る場面もあり、会場は終始和やかな雰囲気に包まれた。



トークセッション第2部「レッズランド構想パート」では、レッズランドを創設した犬飼基昭氏に加え、三菱重工浦和レッズレディースの選手としてこの場所で育ってきた池田咲紀子と浦和レッズアカデミー出身で、現在は浦和レッズU-21チーム強化担当の宇賀神友弥が登壇。





犬飼氏は、レッズランドの前身である東京農業大学グラウンドの契約終了をきっかけに「浦和レッズでこの土地を全部使おう」と即断した当時を振り返り、「何かを始めようとすれば立ちはだかる人もいるが、気にせず挑戦することで、反対する人の何倍もの仲間が集まる」と語り、まずは行動することの大切さを強調した。
また、司会からキッズフェスタについてどう感じたかとの問いかけを受け、「サッカーとは本来そういうものだ」と切り出し、ヨーロッパで見てきた、芝生のグランドを中心に家族や友人が集い、ボールを蹴りながら過ごす文化に触れ、「ここでようやくそのような光景が実現できた」と語り、レッズランドが目指してきた姿の実現に手応えを示した。
そのうえで、「家族や地域の人々が自然に集い、スポーツを楽しむ場所を日本にも作りたかった」と構想の原点を明かし、わずか4ヶ月で実現に漕ぎ着けた当時の取り組みを振り返った。



ジュニアユースの頃からレッズランドでプレーしてきた池田は、「トップの選手を隣に見ながら芝のグランドで練習できる環境は幸せなことだった」と語り、後輩たちにもこの価値を伝えていきたいと決意を述べた。



宇賀神は、レッズランド誕生当時を「レッズユースの最終年にできた」と振り返り、「ジュニアユースの頃は東京農業大学のグランドで練習し、週末になるとこのレッズランドのきれいな芝生でプレーできるのが本当に特別だった」と当時の思い出を語った。土のグランドでの練習が中心だった中で、「あの芝生でプレーできるのはすごくうれしかった。贅沢な環境だった」と、その価値を実感していた様子を明かした。
さらに、2019年の台風による水没被害にも言及し、被災直後の映像に「すごくショックを受けた」としつつ、「クラブとして動くには時間がかかると思い、まずは自分にできることを」と、アカデミー出身の選手たちに声をかけ、自らクラウドファンディングを立ち上げた経緯を説明した。「自分一人の力では限界がある」と感じながらも、「多くの人の思いからできた場所だからこそ、もう一度その思いを集めたかった」と振り返り、その中でライバルクラブからも支援が寄せられたエピソードを紹介し、「サッカーやスポーツの持つ力の大きさを改めて感じた」と当時を振り返った。また「川淵さんや犬飼さんの思いを継承していかなければならない」と語り、「(レッズランドは)浦和レッズとは何かを学ぶ場でもある」として、その重要性に触れた。



最後に、浦和レッズ代表でありレッズランド代表理事の田口誠より、閉会の挨拶が行われた。
田口は「当時革新的であった構想が、20年を経て浦和レッズのアイデンティティになった」と述べ、「スタジアムの熱狂にとどまらず、このレッズランドを通じて地域とともに歩み続ける」と今後への決意を示した。
また、20周年の節目にあわせて昨年7月に発表された新たなコンセプトビジュアルについても紹介した。
「地域とともに笑顔を重ね、いつまでも」というキャッチコピーには、地域の皆様とともに歩んできたこれまでの歩みと、この先も変わらず寄り添い続けたいという思いが込められていることを述べ、この日のセレモニーを締めくくった。





20周年を迎えたレッズランドは、これからも子どもから大人までがつながり、スポーツやさまざまな活動を通じて笑顔が育まれる場所として、地域とともに歩み続けてまいります。











【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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