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西川周作 J1通算500試合出場記念 スペシャルインタビュー

4月18日にヤンマースタジアム長居で行われた明治安田生命J1リーグ 第10節 セレッソ大阪戦でJ1リーグ通算500試合出場を達成したことを記念し、西川周作にインタビューを実施した。
GKとチームで1人しか出場できないポジションにおいて、トップチームに昇格した1年目からチャンスをつかみ、2009年から今季までの13シーズンではJ1リーグ418試合中416試合に出場している西川。3つのクラブというだけでなくさまざまな監督の下でもレギュラーとしてプレーし続けられる秘訣、順風満帆に見えながらも直面していた苦労、『浦和の守護神』としてのプライドなど、過去から現在そして未来についてさまざまなことを本人が語った。

(J1リーグ通算500試合達成おめでとうございます。達成したセレッソ大阪戦の後には「特別な思い入れがあるわけでもない」、「通過点でしかない」と話していたが、その思いは今も変わらないのか?)
「そうですね。でも周りの方が『おめでとう』と言ってくれたり、宇賀神(友弥)選手は昨日、クラブハウスに戻ってきたときに『シュウちゃん、500試合おめでとう』と言ってわざわざプレゼントまで渡してくれました。宇賀神選手は素晴らしいですよ。だから宇賀神選手の300試合(4月18日時点でJ1リーグ通算282試合)のときはもっと素敵なプレゼントをあげないといけないと思っています。

自分としてはそんなに凄みが分からないですし、周りの方に祝っていただけることはうれしいですが、自分の中ではまだまだ通過点という思いがありますので、500試合だろうが501試合だろうが一試合一試合でベストを尽くして浦和のゴールを守っていきたいと思います」

(西川選手が言ったように、もしかすると西川選手自身が500試合の凄さを一番理解していないのかもしれない。ファン・サポーターを含めて周囲の人はみんなが凄い記録だと思っているはずだが?)
「そうなんですよ、本人が一番しっくり来ていないのかもしれません(笑)。ただ、最年少で500試合ということを知って、そこで初めてそれはうれしいなと思いました。でもこのチームにも阿部(勇樹)選手という(4月18日時点でJ1リーグ通算583試合出場)レジェンドがいますし、その上には楢﨑(正剛)さんやヤットさん(遠藤保仁)がいます。そこにたどり着くには相当な努力やサポートをしていただくことが大事になってくると思います。それと、トレーニング量を減らさない、逆に増やしていくということは今、意識していることです」

(トレーニング量を増やすということはいつごろから意識しているのか?)
「ここ数年ですね。2年前くらいです。GKは30歳を超えてからだと思っていますし、もっともっと伸びると思っていましたので、そこから1週間空くときはもちろんですが、連戦になろうが筋トレをしっかり入れたり、全てができなくてもその日の自分のベストなトレーニングをやろうと思っています。休むことがいいとは思っていませんし、逆にやらなければ不安に感じることもあります」

(年齢を重ねて経験を積むとその日その日で必死にトレーニングするよりも試合に向けていかに調整するかを意識する選手もいると思うが、西川選手は増やす方向にいったということか?)
「もちろん体とも相談しながら、この年齢になってくると自分の限界値が少し分かっているところもありますので、これ以上やると危ない、ケガにつながるという判断はしっかりしています。あとはトレーナーさんと常にコミュニケーションを取って、一週間あれば二回は体を触ってもらっていますし、水分量は気にしていますね」

(水分量はピッチ内だけではなく普段の生活も含めてなのか?)
「常に水はどこに行くにも持っていますね。遊びに行くときも、どこでもです」

(一日にどれくらい水を飲んでいるのか?)
「相当飲んでいますね。朝は500ミリリットルは飲みます。トレーニング中は2リットルくらいは飲んでいますね。毎食絶対に500ミリリットルは飲んでいますし、間にも飲んでいます。だからみんなに聞いてもらうと分かると思いますが、トイレの回数が異様に多いんです(笑)。あとは尿の色で体の水分量を見ています。より透明な色を目指しています(笑)。でも実際にそのときの方が体の調子はいいですし、体調を崩しにくいんです」

(「ケガにつながるという判断はしっかりしている」という話だったが、西川選手は若いころはケガで欠場することも度々あったが?)
「大分(トリニータ)のときはありましたね。最初は2006年に後十字(靭帯損傷)をやって、そこからもう1回、後十字をやって、2007年はあまり試合に出られませんでした(J1リーグ11試合出場)。2008年の北京五輪が終わってからですね、埼玉スタジアムですよ。浦和レッズと戦ったとき、みなさん覚えていますか、西川周作が担架で運ばれたあの試合を(笑)。レッズのファン・サポーターの方で分かる人は分かる試合ですよね。

でもあのとき、メインスタンドから『西川、がんばれよ!』って聞こえたんです。レッズのサポーターでした。それはすごく覚えています。担架で運ばれていく僕にレッズのファン・サポーターがそう声を掛けてくれたんです。まさか、そのピッチがホームになるとはそのときは想像もしていませんでした(笑)」

(接触プレーは事故なので仕方がないとはいえ、若いころはそうやってケガがあったが、大分トリニータでJ1リーグ年間全試合に出場した2009年以降は負傷欠場が一度もない。ケガなく出続けられることはすごいことだと思うが?)
「そうですね。あとはケガをケガにしないということも大事だと思っています。ケガしていないわけではありません。骨折しようが、膝にねずみ(遊離体)がいようが、うまくやってきました。特にレッズに来た2年目、2015年の5月くらいに左膝に大きさで言ったら小指の先くらいのものが剥がれてゴロゴロしていたんですよ。それが挟まると激痛で、インサイドキックを蹴ることもすごく怖かったです。そのねずみが前にあればいいのですが、僕は左膝の靭帯がないので、外から回って後ろに行くんですよ。後ろに行ったときは膝が曲がらないので、それをトレーナーに触ってもらって、その塊と前に持ってくる作業を行うんです」

(もう聞いているだけでも顔が歪んでしまうが?)
「でも移動させるのは痛くありません。しばらくしたら自分でもできるようになりましたし、ここにあれば大丈夫ということが分かってくるんです。それが膝の後ろに挟まらないようにプレーしながら前に持ってくる作業をしていたシーズンは自分でもよくプレーしたなと思いました(笑)」

(2016年の始動前に遊離体の除去手術をしたが、当時はまさかそんなケガを抱えてプレーしているとは思っていなかったが?)
「ただ、そういうケガも意味があると思いました。左足で蹴るのが難しいなら、右足のトレーニングができると思ってましたし、トレーニングでは右足でばかり蹴っていたので精度も上がりました。だからケガにも意味があるんだと思いましたし、成長させてもらえると思っていましたし、そういう考えだったので全くネガティブな気持ちにはなりませんでした」

(試合に頻繁に出ている選手はシーズンがある程度進めば誰に聞いてもどこか痛みがあるものだが、ケガをケガだと思わない、ケガをしながらどうプレーするかが試合に出続けるための秘訣でもあったということか?)
「そうですね。それに、試合になると本当にアドレナリンが出ます。不思議ですし、本当にすごいですよ、試合は。トレーニングでできないことは試合でもできないと思って準備しますが、お客さんが入っている中での試合はトレーニングでできないことができることもあるんです。そういう力もありますし、痛みを感じなくさせてくれる力もあります。そして試合が終わって次の日、『何か痛いな』って。『あー、打撲か。でもいつやったんだろう?』って(笑)」

(本来では痛いはずのものがアドレナリンが出たことで痛くなると、翌日などはリバウンドでさらに痛みが出そうだが?)
「かなり痛いです。しかもなぜそうなったか分かればいいんですが、時々分からないのに痛いときがあるんですよね。いつだろう、っていうくらいの痛みがあることがあります」

(長い年数をほとんど欠場せずに試合に出続けていると「ケガがなくて凄いね」と思うが、影にはそういう痛みとの戦いもあったということか?)
「そうですね。本当にいろいろありました(笑)」

(そう思うと、やはりJ1リーグ通算500試合出場を自分でももっと誇っていいのではないか?)
「どうですかね、そうかもしれませんね(笑)。でもやはり通過点という思いの方が強いですが、みなさんの言葉はうれしいです。僕のSNSやレッズのオフィシャルにいろいろな方がメッセージを送ってくれました。Jリーグからもお祝いの投稿がありましたし、うれしいですよ。大分トリニータも公式で『おめでとう』とやってくれました。うれしかったですね、本当に。J1リーグの次節は大分戦なので、負けられないですよ」

(そんなお祝いもしてくれた古巣だからこそ、逆に負けられないのではないか?)
「負けられないです。でも運命ですよね。500試合を達成した次の試合が大分って(笑)」

(これまで大分、サンフレッチェ広島、そしてレッズでプレーしてきたが、クラブは3つだがかなりの人数の監督の下でプレーしてきた。GKも監督によって好みはあるはずだが、どの監督でも出続けられた要因はどんなところにあるのか?)
「なんでしょうね…(しばらく考えてから)人のせいにしないということは大事にしています。もちろんGKなので失点もミスがあったり、DFのミスもあったり、失点にはミスが付き物ですが、自分に矢印を向けて、あのとき自分は何ができたか、自分はどうすればよかったのかということを常に考えながらやってきました。それと同じように、戦術に関わらず自分がどうしたらいいかという考えでずっとやってきています。

それと、監督が言うことをまず聞くということです。まずは聞いて受け入れて、自分のフィルターの中で『これは必要ない』ということもありますが、『これはやってみよう』とか、アドバイスだったら素直に聞いてやってみるということはあります。やはり年齢を重ねていくと頑固になっていきますよね。でも監督やコーチが言っていることを聞くように心掛けています。

年齢を重ねると自分が頑固になるだけではなくて言ってもらえなくなります。怒ってもらえなくなったり、言われづらくなったり。だから言ってくれることは本当にありがたいと思いますし、言ってもらえなくなったときが来ると思うと寂しいというか、伸びしろがなくなってしまうのではないかと思って怖いですね。だから今までの監督もGKコーチも非常に恵まれた環境でやらせてもらっているなと思います。周りの人に恵まれていると思います」

(まさにJ1リーグ通算500試合を達成したセレッソ大阪戦の直前のことだが、西川選手について問われたリカルド ロドリゲス監督が「彼は指示を聞く耳を持っている」と話していたが?)
「そうなんですか? それはすごい(笑)」

(「言ってもらえなくなると思うと怖い」と言っていたが、西川選手に聞く耳があるからこそ、今までの監督やコーチはアドバイスできたのではないか?)
「確かにそれもあるかもしれないですね。それと、聞くことで自分が意見を発するときに聞いてもらえるとも思っています。一方通行ではなく、会話のキャッチボールするためにも自分がまず聞く。それはコミュニケーションを取る上で大事なことだと思っています」

(これまでの監督やコーチもそうだが、浜野征哉GKコーチともいい関係を築けているのではないか?)
「浜野さんとは毎試合の前も後もミーティングで個別に話したり、とにかくGKに矢印を向けて改善しようと話をしてくれます。『もうちょっとここはこうできるのではないか』ということも言ってくれたりします。お互いに変な気を使わずに話ができていると思います」

(2人の関係もそうだし、塩田仁史選手や鈴木彩艶選手を含めてGKチームはいい雰囲気でトレーニングできていると感じるが?)
「すごくいい雰囲気ですね。3人で切磋琢磨していますし、シオさん(塩田)がいい雰囲気を作ってくれます。僕も彩艶もああいう先輩がいるから楽しくトレーニングできていると思いますし、そういう雰囲気を作れるシオさんが凄いと思います」

(鈴木選手は西川選手のとってどんな存在なのか?)
「末恐ろしいですね。たくさんの方の期待を背負っている存在だと思っていますし、持っているものは本当に凄いですよ」

(西川選手がU-20日本代表でプレーしていたころはセーブはもとより足元の技術が衝撃的で「ついに日本にもこんなGKが出てきたのか」と思ったが、それから15年ほど経って、鈴木選手はまた違う衝撃を与える存在になっているのではないか?)
「シオさんの存在もそうですが、少しでも僕が変なプレーをすれば『彩艶を出せ』ということになると思いますし、そういうプレッシャーを感じながらプレーできています。みんながみんな試合に出たいという欲をもちながらトレーニングできていると思いますし、僕も『まだまだ浦和のゴールは西川が守るぞ』というところはプレーで見せていかなければいけないと思います」

(もちろんゴールを守る立場を譲る気はない?)
「そうですよ。全く譲る気はありません。レッズのゴールを守ることももちろんですし、日本代表でも試合に出たいですから。そのためにも譲るわけにはいきません」

(3月下旬に日本代表に招集されたが、離れていた3年4ヵ月ほどの間もずっと意識していたと話していた。ただ、西川選手が憧れ、J1リーグ通算出場試合数でも目標としている楢﨑さんが代表を引退したのは34歳だったが?)
「そうなんですよ。ホームでやった試合(2010年9月7日に当時の長居スタジアムで行われたKIRIN CHALLENGE CUP 2010 グアテマラ戦)の後に記者会見をして発表したんですよね」

(西川選手も34歳、もうすぐ35歳を迎えようとしているが、代表への意欲は全く衰えていないのか?)
「僕の中では日本代表を目指し続けることが意思と言いますか、高校2年生のときにアンダー世代の代表に初めて入りましたが、そこから日本代表という場所は特別だと思っています。目標なくして選手としていいパフォーマンスは出せないと思いますし、今回呼ばれたことで今まで思っていた以上に代表への欲が強くなりました。

年齢のことを言われるのはあまり好きではないですし、年齢に負けたくないと思っています。34歳の自分に負けたくないんです。まだまだ生き生きと、若くいたいです」

(たとえば阿部選手も年齢のことを言われたり「ベテラン」と表現されることに嫌悪感を示すが、そうやって年齢で括られることを否定的に捉えるからこそ試合に出続けられるのかもしれないが?)
「僕もどんな試合でも出たいです。今は(YBC)ルヴァンカップではメンバーから外れていますが、大会が変わってもずっと出続けたいんです。『休んだ方がいい』と言われますが、出たいんですよ(笑)」

(また年齢の話になってしまって申し訳ないが、経験を重ねていると体力的なことを考えてもJ1リーグに集中したいという選手もいるが、西川選手にはそういう気持ちはないのか?)
「全くありません。『ルヴァンカップはいかないから』と言われたときは『分かりました』と言いますが、そんなことを思えるほど西川周作は凄くないですよ(笑)」

(今までのキャリアでターニングポイントになったと思う試合や瞬間はあったのか?)
「GKは若くして出場するのは難しいポジションだと思っていました。皇甫官(ファンボ カン)さんが大分U-18の監督からトップチームのコーチになったタイミングで高校3年生のときに2種登録させてもらい、プロ1年目で大分の監督が皇甫官さんになり、ワールドユース(FIFAワールドユース選手権。現在のFIFA U-20ワールドカップ)に出た後に使ってもらったことがきっかけでここまで来られたと思っています。当時は経験豊富な高嵜理貴さんや岡中勇人さんがいましたが、みんな嫌な顔をせずに一緒にやってくれていました。チームもそうでしたし、周囲に恵まれていたと思います。デビュー戦や当時のことは今でも覚えています」

(レッズに加入してからはJ1リーグで247試合に出場したが、その中で印象深い試合はあるか?)
「関根(貴大)選手にアシストした試合です(2016シーズンの明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第7節 湘南ベルマーレ戦)。あれからキックでも注目された感覚があります(西川は同第8節の名古屋グランパス戦でもズラタンにアシストし、Jリーグで初めてGKとして2試合連続アシストを記録した)。J1リーグにおいては2015年の1stステージの無敗優勝も素晴らしい結果だったと思います。

ただ、個人としてはACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)を含めて全てのタイトルを獲れましたが、レッズに来てからはまだリーグ優勝が欠けています。僕が在籍している間には絶対に獲りたいタイトルの一つです」

(個人の記録としては楢﨑選手のJ1リーグ通算出場631試合を目指すと言い続けているが、チームとして目指したいと思うのはJ1リーグでの優勝が最も大きいのか?)
「大きいですね。過去に2006年に優勝したときの街の雰囲気、ファン・サポーターの熱い姿勢、涙を流して喜んでいる姿を動画でよく見ますが、当時はそこにいなかったのに鳥肌が立ちます。2017年のACL決勝、あの満員のスタジアムの中で優勝できたことは、今思い出すだけでも鳥肌が立ちます。みんなが涙して、笑って、喜びを分かち合ったあの瞬間は選手にとってもこれ以上ない幸せなことでした。リーグ優勝したときの感情は想像がつきませんし、浦和レッズの一員としてリーグ優勝して、みんなで抱き合って喜びたいですね」

(早く新型コロナウイルスの影響が収束し、制限なくお客さんが入れるようになり、その前で優勝して堂々とみんなで抱き合う。そんな光景をイメージしているのか?)
「新型コロナウイルスの影響はどうなるか予想はつきませんが、1年以内に収まってほしいと願っています。もう少しの辛抱だと思い、願っています。お客さんがなかなか入れない状況が続きますが、また満員のスタジアムでプレーできる日を心待ちにしています」

(キャリアの中でも最も印象深いのがJ1リーグのデビュー戦ということだったが、その当時、19歳の少年が思い描いていた西川周作になれているのか?)
「なれてるのかな…。人を楽しませるプレーをやっていきたいと思っていましたし、若いころにお手本のような素晴らしい先輩たちがいましたので、自分のことだけではなくファン・サポーターの方たちに対しての立ち振る舞いを学ばせてもらった時期が大分時代でした。そこで学んだことを今も生かせていると思います。それは勝っても負けてもスタンドへの挨拶はしっかりしたいと思っていることです。勝ったときだけではなく、負けたときもしっかりと手を振って、『本当にありがとう』という気持ちを伝えたいと思っています。それから、自分の武器をたくさんの方に見てもらえて、評価もしていただけているということはうれしいですね。まだまだやっていきたいですね」

(勝っても負けても、ということもそうだが、ファン・サポーターへの挨拶では2020年7月4日に行われた明治安田生命J1リーグ 第2節 横浜F・マリノス戦のことが印象に残っている。新型コロナウイルス観戦拡大の影響でJリーグが中断し、再開した初戦だったが、スタジアムで観戦ができない試合だった。スタンドには誰もいなかったが、ウォームアップ開始前、西川選手と福島春樹選手がいつも通りスタンドに向かって手を上げ、お辞儀していた。改めて、あのときはどんな心境だったのか?)
「ありましたね。僕にはファン・サポーターのみなさんが見えていました。ビジュアルもそうですし、クラブスタッフの方もボランティアの方もみんなが協力してあの雰囲気を作ってくれました。5月、6月は試合ができるのか、できないのか、一体どうなるんだ、と思っていました。自宅待機でオンライントレーニングをやったり、時間差で大原に行って一人で体を動かしていた時期で、『サッカー選手としての役割はどこにいってしまったんだろう』と思うくらい無力感を覚えました。サッカーでみんなを元気にしたいと思っていたのに、それがいざできなくなると、無力だなと思いました。

そういう時期を過ごしていましたので、7月の試合は思うことがたくさんありましたし、やっと自分たちがプレーする姿をたくさんの人に見てもらえるチャンスを得られたこと、楽しませるチャンスが来たことが本当にうれしいと思う気持ちでいっぱいでした」

今年も緊急事態宣言やまん延防止等重点措置で入場者数が制限されていますが、また満員のスタジアムでプレーできる機会が来ると思います。ワクチンを作ってくれたり、たくさんの方たちががんばってくれていますので、僕たちはとにかく『感染しない、感染させない』を徹底して、人に迷惑を掛けないことを意識して行動していきたいと思います」

(J1リーグ通算500試合出場を祝ってくれた方々、631試合、さらには史上最多の641試合を期待してくれている方々、日ごろから西川選手を応援してくれているファン・サポーターへのメッセージを)
「本当に僕に対してもそうですし、Jリーグを日ごろから愛して、注目して、応援してくれている全ての人に感謝しています。僕がプロとしてJリーグでプレーできているのは、お客さん、ファン・サポーターの方々のおかげですし、そのみなさんがいなければ成長もできていません。スタジアムで観戦できない試合を経験しているからこそ、お客さん、ファン・サポーターの存在の価値を身に染みて感じています。コロナ禍で難しい状況ですが、スタジアムに足を運んでいただいたり、それが難しい方はテレビなどで僕たちのプレーを見てほしいと思います。僕たちも見てもらったことにただ感謝するだけではなく、しっかり勝利という形で恩返ししたいと思っています。これからもよろしくお願いします」

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・次のホームゲームは、4月25日(日) 明治安田生命J1リーグ 第11節 大分トリニータ戦(16時キックオフ・埼玉スタジアム)です。
■試合・イベント情報はこちら→https://www.urawa-reds.co.jp/game/match_info/?game=1610

西川周作 J1通算500試合出場記念 スペシャルインタビュー

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