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11.09.05


コラム「19年前の今日(9月5日)」

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1992年の9月5日(土)、浦和レッズは大宮サッカー場(当時)にジェフユナイテッド市原(当時)を迎え、ヤマザキナビスコカップ予選リーグ第1節を行なった。これがプロサッカークラブ・浦和レッズとして戦う、初めての公式戦だった。

1991年2月、レッズを含む10クラブ(オリジナル10)が発表され、各クラブが法人化を進めると同時にJリーグ機構自体も11月に発足した。だが、それはあくまでプロリーグ開幕の準備であり、1992年の3月末に日本リーグが閉幕すると、サッカーファンを楽しませる公式戦はなくなった。Jリーグ開幕の1993年5月まで、あまりにも長い。そこでJリーグの前哨戦としてリーグカップが開催されたのだった。予選リーグとしてまず10チームが総当たりすることで、各チームのお披露目ができ、日本に誕生したプロサッカーの雰囲気をいち早く味わってもらえる。
また試合にインパクトを与えるため、予選リーグであっても完全決着。90分で同点の場合はVゴール方式(当時はサドンデス方式)の延長を行ない、さらにPK戦まで用意されていた。さらに得点の価値を高めるため、試合に勝ち負けに関わらず90分以内の得点については2点につきボーナス勝点1が与えられるという特殊ルールまで作られた。勝利チームに与えられる勝点は4とされた。

最後の日本リーグを11位という、本来なら降格する順位で終えた三菱だったが、浦和レッズ移行にあたり大幅な強化を行った。日産から柱谷幸一と田中真二、NKKから望月聡、東芝から堀孝史、NTT関東から田北雄気といった即戦力を補強。またアルゼンチンから大型DFのマルセーロ・トリビソンノを、ペルーから攻撃的MFエドウィン・ウエハラを補強し、前年から活躍していたFWオスバルド・エスクデロとともにチームの中心線を固めた。
そして指導体制は、それまでプロ化の先頭に立ってきた元日本代表監督の森孝慈が初代監督を務め、ヘッドコーチには元日本代表コーチで日本リーグ連続出場記録を持つ鉄人・落合弘、コーチに前年まで現役として活躍し日本代表選手時代は「アジアの核弾頭」と異名を取った原博実というトライアングルでスタートした。

8月9日に朝霞市でマリノスと2-2の引き分け、19日に栃木市でヴェルディとやはり2-2の引き分け。オープン戦(当時)2試合をこなして準備を重ね、いよいよ9月5日を迎えた。天候は上々、開門と同時に大勢の人が入ってくるのを見て、クラブ関係者、県サッカー協会関係者は手を取り合って喜んだ。最終的な入場者数は4,934人で、スタジアムの収容人数からすればほぼ半分というところだったが、個席でないスタンドは十分埋まって見えたし、何より1,000人を超えることが稀だった日本リーグ時代に比べれば満員と同じくらいのインパクトがあったのだ。

試合も期待を裏切らなかった。先制したジェフにレッズが追いつき、引き離すジェフに再びレッズが追いつくという展開で、あっという間に90分が過ぎた。2対2。いきなりサドンデス延長だ。そして大宮サッカー場の観衆は初めての体験をする。延長前半3分、誰もがジェフのオフサイドかと思った瞬間、ラインの後ろから出てきたジェフの選手がボールを奪い、先制点を挙げたパベルにラストパス。パベルがこれを決めて、そのまま試合終了。90分の熱戦の後にしては、何ともあっけない幕切れだった。

レッズ初の公式戦は黒星に終わったが、初めて見たプロサッカーの興奮はスタジアムの外に広がっていき、予選リーグは節を重ねるごとに入場者が増えていった。それはレッズ以外のチームにとっても同様で、1992年のヤマザキナビスコカップは、翌年のJリーグ開幕の前哨戦として、これ以上ない効果を挙げたのだった。
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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