解説者

水沼貴史

TAKASHI MIZUNUMA
ホームタウン
「浦和の街に生まれたから今の自分がある」
水沼貴史氏のうらわ愛とレッズへの期待
2021.6.17

それから浦和の街はますます変化していった。レッズが主に使用するスタジアムも駒場から埼スタに変わり、浦和美園駅周辺の街並みは一変した。レッズランドではレッズの育成組織や今年からプロ化するWEリーグの三菱重工浦和レッズレディースがトレーニングを行っているすぐそばで少年や年配の方たちがプレーしている。

2002年にワールドカップが開催されたときには、何もないようなところに大きなスタジアムができた。そこで試合をするクラブが表れ、街の風景も街に住む人たちの風景も一変した。その様を取材してきた水沼氏は、サッカーの力を肌で感じた。

そして、浦和のようにサッカーが根付いた街でも、プロ化や年月によって変化していく様を感じている。浦和から離れても、未だに両親が住む実家には時折帰っている。自身が目にするだけではなく、離れている間も知人から浦和の変化を聞いていた。

「どんどん変化、進化していく様を見るのもまた違った感慨深さがある。『浦和はすごかったんですよ』と言っても、『昔はね』という人もいる。僕たちもそうだけど、昔は昔でよかった。でも、サッカーが変わっていくように、人も変わっていかないといけない」

日本代表やJリーグでファン・サポーターを沸かせた水沼氏も、昨年、祖父になり、今年で61歳を迎えた。現役引退後は形を変えながら、今もなお日本サッカー界の最前線で活躍し続けている。

昨年には元サッカーマガジン編集長の北條 聡氏、元エル・ゴラッソ編集長の川端暁彦氏とYouTubeチャンネル『蹴球メガネーズ』を開設した。

「息途絶えるまでサッカーに携わっていきたいと思います。今は違う環境でサッカーを支えている部分、自分がサッカーを楽しんでいる部分もあるので、楽しみ方も多岐にわたってある中で、その中で一躍を担えたらなと思う」

そして自らの原点である浦和の街、その象徴として期待するレッズに思いをはせる。

「『浦和イコールサッカー』みたいなアイデンティティーは残っていると思う。というか、残していかないといけないし、風化させてはいけない。世代がどんどん変わっていく中で、浦和のサッカーの文化やレッズの良さを伝えていく役割みたいなところはあるかなと思っている。『浦和はサッカーが強いんだよ』と言いたい人はたくさんいると思う。その象徴にならなきゃいけないのがレッズ。浦和の象徴のようなプロクラブであるレッズには、永遠に強くあってほしい。ずっとそう思っています」

穏やかな人柄で周囲の人たちにもサッカーファンにも愛されている水沼氏。今回も終始、柔和な笑顔で明るく取材に応じてくれた。だが、こう話すときばかりは表情と口調を変えていた。その真剣なまなざしと言葉に、地元と地元のクラブへの愛に溢れていた。

文:菊地 正典

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