解説者

水沼貴史

TAKASHI MIZUNUMA
ホームタウン
「浦和の街に生まれたから今の自分がある」
水沼貴史氏のうらわ愛とレッズへの期待
2021.6.17

ある人にとって、水沼貴史氏のイメージは横浜かもしれない。

それもそうだ。水沼氏は、法政大学を卒業後、日産自動車サッカー部に入部。切れ味鋭いドリブルと絵に描いたような美しいボレーシュートで観る者を魅了しながら、一度も移籍することなくJリーグ開幕を迎え、横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)で現役生活を終えた。

Jリーグでコーチ、監督を務めた唯一のクラブも横浜FMだ。生粋の『ワンクラブマン』である。そして長男の宏太も横浜FMの育成組織で育ち、横浜FMでプロデビュー。その後、いくつかのクラブを経て、2020シーズンから再び横浜FMのユニフォームに袖を通している。

しかし、またある人にとっては、水沼氏は浦和の人だ。

水沼氏自身は、「もう知っている人はそんなにいないよ」と笑うが、そんなはずはない。むしろ、理由を説明することが野暮かもしれない。

浦和生まれ、浦和育ち。さらにいえば、本太生まれ、本太育ち。浦和駅から現在の浦和駒場スタジアムの間、後のレッズの『中心地』で少年時代を過ごした。

「浦和の街に生まれたから今の自分があると思っている」

そう断言する水沼氏がサッカーを始めるのは「必然」だった。

浦和の子供たちが校庭で遊ぶのはサッカー。それが当たり前だったからだ。本太少年団でプレーした。

水沼氏の少年時代の記憶に色濃く残っていることがある。浦和のチームはいろいろな地域と交流戦を行っていたが、その一つに藤枝があった。毎年、開催場所を入れ替えながら行う交流戦。ある年、駒場で藤枝中央サッカー少年団と対戦した。

「全然勝てなくて。すごくうまかった。それが印象に残っている。だから藤枝は強い、静岡は強いと思ったね」

浦和市立本太中学校では当時はまだ土のグラウンドだった現在の浦和駒場スタジアムのサブグラウンドで練習しながら、全国中学校サッカー大会優勝を制した。

そして浦和市立南高等学校へ進学する。昌平高校や正智深谷高校はもとより、武南高校すら強豪校とは言われていなかった時代。県立浦和高校、浦和西高校、市立浦和高校、浦和南高校が席巻し、『浦和を制するものが全国を制する』と言われていた時代。

水沼氏は西高こと浦和西高校、浦和市立こと市立浦和高校と迷いながら、現在の日本サッカー協会会長である田嶋幸三氏らを擁し、前年度に全国高校サッカー選手権を制した浦和南高校への入学を決めた。

全国的にはまだマイナースポーツの域を出ていなかったサッカーにおいて、1年生が100人ほど入部した。レベルの高さについていけない部員もいれば、監督に肩を叩かれる部員もいたという。

そんな中、水沼氏は1年生のときからレギュラーになり、全国高校サッカー選手権で決勝まで進出する。相手は小学生時代に「強い」と感じた静岡の静岡学園高校。

初の首都圏開催となり、学生スポーツとしては異例の5万人以上を動員した国立競技場で静岡学園を5-4で下した。水沼少年は強烈なインパクトを残し、そして今でも浦和とライバル関係が続く静岡の高校を破っての日本一に浦和の街も盛り上がった。

「やっぱり浦和の人たちが高校サッカーで盛り上がってくれたことはすごく印象深い。高校サッカーで優勝したときは浦和駅の西口から県庁までだったかな?中山道を通ったりしながら歩いて、のぼりとかも持ちながらパレードみたいなものをやった。そんな思い出もありますね」

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