浦和レッズ メディカルディレクター
JIN整形外科スポーツクリニック院長

仁賀定雄

Sadao NIGA
クラブ
「彼らの支えのおかげで、レッズで仕事ができた」
初の専任ドクター、仁賀定雄が見た選手たちの実像
2022.5.19

そして、選手ではないが、今でも『人生の師』と仰ぎ、専任ドクター時代の思い出として欠かせない人物。それが仁賀をレッズの専任ドクターにした張本人、オフト監督だ。

レッズの専任ドクターに就任後、オフト監督からこう提案された。

「浦和レッズでMRIなどの設備を備えた診療所を作り、そこであなたが全国のスポーツ選手を見るべきだ」

仁賀は固辞した。レッズの専任ドクターになる以前、2001年に開所した国立スポーツ科学センター(JISS)の非常勤医師でもあった仁賀は、オフト監督が求める役割はJISSのものであり、自分の役割ではないと思ったからだ。

しかし、それから20年が経とうとしている今、2013年に仁賀が設立したJIN整形外科スポーツクリニックに全国から来るのは、レッズ以外のクラブでプレーするJリーガーだけでなく、プロ野球やラグビー、柔道、バドミントン、陸上など様々な種目のスポーツ選手だった。サッカー選手に限らず、あらゆる競技のトップ選手、誰もが名を知るような選手たちが、仁賀を頼ってやってくる。五輪や世界選手権が開催されるたびにその種目で仁賀が治療した選手たちが活躍している。

「オフトさんが言っていたことが、今となっては分かります」

レッズを2003年のJリーグヤマザキナビスコカップ優勝、クラブ史上初タイトルに導いたオフト監督は、いつも先を見ていた。

「プロとはこうあるべきだ、と教えてくれた人でした。プロの選手とは、プロのクラブとは、プロのドクターとは…。常に5年先、10年先を見ていましたし、いつもクラブのみんなに問いかけていました。『あなたの未来のピクチャーは何ですか?』と」

未来を見据えて今を考えるということはつまり、先見の明があるということでもある。2002シーズン、オフト監督は福岡大学から加入したプロ1年目の坪井慶介を開幕戦から先発メンバーに起用した。

「坪井はユニバーシアード代表ではありましたが、大学当時は決して有名な選手ではありませんでした。足は速いですが、ヘディングがそれほど強いわけではないし、キックやトラップがうまいわけでもない。僕も『どうしてだろう?』と思っていましたが、報道陣もオフト監督に聞いていました。すると、『あなたたちは何を見ているのですか。彼は2年以内に日本代表のレギュラーになりますよ』と言いました」

そのとおりだった。「でも」と言い、仁賀は口元を緩めた。

「オフトさんでも少し間違えていたことがあります。坪井は2年ではなく半年後には代表に入っていました」

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みなさまと歩みを共にした30年。
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これまでのサポートに感謝し、ここからの時代を共に創るべく、5月21日(土)の鹿島戦は「30周年記念試合」として行います。
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