ONLINE MAGAZINE/REDS VOICE
2001.8.10 Vol.44

「浦和レッズシーズン2001 を語る会」ご報告

〜3月2日会合から〜

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第2部 チッタ監督トークショー
チッタ・浦和レッドダイヤモンド監督
司会
水内 猛・(テレビ埼玉「GO!GO!REDS」キャスター)

河野 正・(埼玉新聞社運動部)
(通訳/バリ)

[横山]
 彼を取ってくるときに、これまでのレッズの選手は中盤から後ろの球出しに対して、流れて受けることが多かった訳ですが、相手を背にして球を受けて、そのまま攻撃を仕掛けられるような選手が欲しいと、これはもちろん監督も含めての希望がありました。そういう面で、彼はそれをやれる選手であると同時に流れの中でのプレーもできる。シュートも、これは今あまり点を取っていないのでシュートがうまいですよと言いにくいのですが、決して下手な選手ではありません。

[チッタ]
 今晩は。

[水内]
 監督、日本の生活には慣れましたか。

[チッタ]
 今までは現役でいろいろな国でサッカーをやってきましたが、日本では新しく始める訳で、まだ慣れてはいませんが、少しずつ慣れていきたいと思います。

[水内]
 もう浦和にお住まいですか。

[チッタ]
 与野駅の近くです。

[水内]
 チッタ監督に今までのサッカー人生で学ぶところがあったら聞いてみたいのですが。
[チッタ] 私はサッカー以外の生活は知りません。11歳のときにクラブに入ってサッカーの生活をやってきていますので、現在は42歳で、もう31年間サッカーの生活をしてきています。プロとしては21年間です。一番いいことも、一番悪いこともサッカーの中で経験してきました。サッカーは私の人生そのものです。39歳まで現役でした。

[水内]
 39歳というのはすごいですね。それだけ現役で長くやれる、何か秘けつのようなものがあったら。
[チッタ] まずサッカーを愛すること。あとは規律を守って酒を飲まない、タバコも吸わない。監督の言うことをしっかり聞いて守ること、仲間も尊重すること、こういうことが一番大切だと思います。

[水内]
 監督はJリーグというものを知っていたんですか。

[チッタ]
 日本のサッカーにはブラジルの選手が多いですし、私と一緒にやっていたジーコだとかジョルジーニョだとかもいましたので、いろいろな情報が入っていました。現役のときも、まだJリーグになる前ですが日本のクラブから誘われたことがあります。90年のワールドカップの前にトヨタから誘いがありまして、私はワールドカップのことが頭にあったので、その誘いには応じなかったんですが。

[河野]
 監督は、ミウトン・ケイロス・ダ・パイションという本名がお父さんと同じで、まぎらわしいからチッタという愛称をつけられたと聞きましたが、チッタというのは何か特別な意味があるんですか。

[チッタ]
 ポルトガル語では、おばあさんの優しい呼び名として、チッタという言い方があるんですが、でもそういうことから私のニックネームがチッタになった訳ではありません。ミウチッタ=小さいミウトンという言い方で、ずっとチッタと呼ばれているんです。ブラジルではミウトン・ケイロス・ダ・パイションと言っても誰もわかりません。チッタと言わなければ。

[河野]
 プロとしてのキャリアをスタートさせるときのあこがれの選手は誰だったですか。

[チッタ]
 私がジュニアユースのころ、もうジーコがプロでやっていました。プロになってから5年間ジーコとプレーができましたが、若いころからジーコを見ていて、ジーコがあこがれの選手でした。

[河野]
 フラメンゴ時代にトヨタカップで来日したときの写真を見たんですが、長髪でパーマをかけていたのはジーコをまねていたんですか。

[チッタ]
 そうですね。ずっとあこがれていましたから、体形もジーコに似ていると言われてうれしかったですし、ジーコが1年半イタリアのウディネーゼに行っていたとき、私は5歳年下で、チッタが次のジーコだと言われてうれしかったです。でも自分からは言わなかったです。

[水内]
 レッズのチームにはどういう印象を持ちましたか。
[チッタ] 去年、天皇杯で試合を見て、ブラジルにビデオを持って帰って見ました。選手はそれほど変わっていませんね。外国人の選手が変わったのと井原が加わって、新人が入ったくらいです。レッズはまだ育ち盛りで、これからのチームだと思います。十分力を持っているチームだと思いますので、これから頑張っていきたいと思います。



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