ACLタイ・ブリーラム遠征記(前編)


4日、14時10分ごろ、チームよりも先に成田国際空港へ到着した。AFCチャンピオンズリーググループステージMD5、ブリーラム ユナイテッド戦を行うタイ遠征のためだった。

この日、チームは大原サッカー場で10時から練習し、13時に成田空港へ出発するスケジュールだったが、チーム荷物を空港カウンターにチェックインさせるため、広報部スタッフは練習対応と荷物の受け入れの手伝いのため二手に分かれていた。

ACLはクラブの総合力が問われる大会。アウェイ遠征の移動を、いかに選手たちにストレスをかけずに行うかは非常に重要で、その意味では、チーム荷物のチェックインや運搬作業というのは、部署の垣根を越えて裏方のスタッフが行う重要な役割だった。

空港に到着した後、この遠征をアレンジしてくれている西鉄旅行のMくんと合流し、マネジャーの関くんにいつでも受け入れ準備可能とメールする。

関くんからはすぐに返信があり、5、6分後には関くんの乗っている荷物車のトラックが到着するとのことだった。

競技運営部のN部長とSくん、私で空港前の道路沿いの降車場で、荷物を載せるカートを準備して待った。

気候は5月初旬そのものという穏やかな陽気で、ときおり吹く風が気持ちよかった。

「いい陽気だね」
隣にいたSくんに何気なく話すと
「そうですね。日が出ているところは少し暑いですけど、日陰は全然涼しいですもんね」
と返ってきた。
「タイは、午前とかで40度近いんでしょ?」
「そうらしいです」
「ヤバイね」

そんな会話から、アジアでの過酷なアウェイ戦に向けて思いをはせる。ブリーラムに敗れると、ACLでの敗退がほぼ決まってしまう。いろいろな意味で大変な戦いが待っているのだろうな、とあらためて想像した。

ほどなく荷物を載せたトラックはやってくる。
降車場につけると、手際よく関くんとドライバーのTさんが錠を外し、荷台の扉を開けた。

ちなみにドライバーのTさんは、浦和レッズの遠征にはなくてはならない人で、あらゆるアウェイ遠征にトラックでチーム荷物とともに駆けつけてくれる。プレシーズンの沖縄キャンプでも九州まで陸路で、そこから沖縄へは船で移動して荷物を届けてくれたその道の猛者だ。

ACL用ユニフォームが入ったスーツケース、選手、スタッフの練習着が入った大きなバッグ、アウェイの地でもしっかりと選手たちのケアをするためのメディカル用の専門道具など、重いもので20キロ前後あるものが全部で60近く。

Tさんがトラックの荷台上で下ろしやすい位置まで荷物を移動し、それを関くん、競技運営部の二人と私の4人でカートに積んでいった。

手際がいい。
2018年は出場できなかったものの、ここ数年、毎年のようにACLに出場していた経験は、スタッフの身体にも刻み込まれている。

約20分で、チェックインのカウンターまで運び終わった。少し汗をかいたが、順調にチェックインできそうだ。



チェックインカウンターの航空会社スタッフと西鉄旅行のMくんがやりとりをし、私たちも手伝って荷物の重量などをチェックし終えたころには、選手たちを乗せたバスも到着した。

選手たちにもチェックインをさせるため、Mくんから選手たちのパスポートを受け取り、それぞれに渡していく。

「お疲れ、はい、パスポート」
「うす!」

受け取った青木拓矢の表情は、いつもどおりだった。
前日の敗れたジュビロ磐田戦、失点に直接的に絡んでしまった彼がどんな様子か、経験ある選手だから問題ないだろうとは思っていたものの、ちょっと気になっていた。

あの試合、彼はピッチに起こる問題を解決するため、スペースを埋め、守備に奔走し、なおかつビルドアップにも絡んで、文字通り多くのタスクをこなしていた。

終盤、あのミスが出てしまったのは、受け入れがたいものだったろうと思うが、そのミスの責任を彼一人が背負う必要はないと思っていた。

だから、一夜明けいつもと変わらない様子に安心した。
ほかの選手たちも、気落ちした様子は見られない。ACLのグループステージ突破へ向けて、とても大切な一戦となるこのブリーラム戦に気持ちは切り替わっている様子だった。

チームは順調にチェックインを終えた。
そして、18時過ぎ、飛行機は、40分ほど遅れての出発となったものの、無事にタイへと飛び立った。


タイのスワナンプーム国際空港に到着したのは、成田を発って約6時間後の日本時間24時ごろ、現地時間では22時ごろだった。

到着後は、選手たちも手伝ってチーム荷物やそれぞれの個人の荷物をピックアップしていく。カートに乗せながら、マネジャーの関くんが荷物の数をチェックする。どうやらロストバッゲージもなく、ここまでは無事に移動できたようだ。

チーム荷物を待つ間、槙野智章と西川周作がなにやら楽しそうに話している。
「見てくださいよ、これ(笑)」
二人はスマホで撮影した写真を見せてきた。
二人が恋人のように、隣同士に座って写っている。
「恋人みたいじゃん!(笑)」
思わずそう返した。



ちなみに、ACLなど海外遠征を行う際、選手や監督は長距離移動となるため、ビジネスクラスで移動する。私はビジネスクラスに乗ったことがないので、あまりわからないのだけれど(苦笑)、どうやら、日本の航空会社などではビジネスクラスは個室のような趣があるようで、でも今回の飛行機は、そうではなくて隣がかなり近く、それが楽しかったようだった。

槙野が笑顔で話す。
「俺は寝たいのに、周ちゃんが本を読むのに明かりを付けるんですよ!俺が途中で消したんですけど、そのあと、またつけて(笑)」
「いやあ、本を読みたかったからさ(笑)」

恋人か!

思わず突っ込みそうになるほど、彼らはいつだって仲が良く、楽しそうだ。Jリーグの試合翌日の移動で、やや長いフライトの後でも、その疲れを感じさせない明るさがあった。

荷物を運ぶトラックが横付けする場所へチーム荷物を運んだあと、選手たちは空港から徒歩5分ほどの場所にあるホテルで一泊するため、移動した。

明日は現地時間の9時30分にホテルを出発し、国内便で試合を行うブリーラムへと移動する。

関くんと私、スタッフ数名はその場に残り、荷物を載せるトラックを待った。
荷物のピックアップに少し時間もかかったことで、現地時間の23時を過ぎていたが、車の往来が後を絶たず、空港は賑やかだった。

「この時間で賑やかだね」
関くんに話しかける。
「そうだね、すごいね」
「暑さも結構だよね」
「うん、湿気がすごい。この時間でこれだと、試合時間はヤバイかもね、18時でしょ」
関くんも私もジャージの上着を脱いで半袖になっていた。
「省エネで最後一刺し狙いかな」
「そうだね。とにかくホームにつなげないとね」

予想より少し時間がかかって、トラックがやってきた。
カートに載せてあるチーム荷物を、スタッフで協力して荷台に載せていく。タイ人のトンさんというコーディネーターも一生懸命手伝ってくれた。トンさんは、浦和レッズがタイ遠征を行う際、必ず依頼しているコーディネーターで明るく、細やかな気遣いをしてくれる頼れる人だ。

次の日に乗るブリーラムへの国内便は、小さな飛行機のため、チーム荷物を積むことができず、荷物は陸路で約7時間をかけて、ブリーラムへと向かう。西鉄旅行のOさんがトラックに乗り込み、荷物を届けてくれることになっていた。

時刻は現地時間で24時を過ぎていた。

「Oさん、すいません。よろしくお願いします!」
関くんが声を掛け、Oさんと握手をする。私も含めたその場にいたスタッフもOさんと握手をし、過酷な移動をお願いしてしまう申し訳なさと共に見送った。

多くの人たちの支えがあって、ACLは戦っていけるんだよな、とあらためて感じる。
そういえば、日本を発つ前に、ファン・サポーターの方がタイへ行くことをSNSでアップしていたことを思い出す。リーグでの敗戦の後でも、そうやって支えてくださる方たちがいるのは本当にありがたいことだと思った。


5日、チームは朝食を摂った後、現地時間の9時30分にホテルをバスで出発し、バンコクにあるドンアン空港へと移動した。道の混雑もなく、30分あまりで到着。



バスから個人の荷物を出して、チェックインカウンターへ向かう。
気温は30度を超え、日本の夏と変わらない印象だった。
「暑いね」
ちょうど並んで歩くタイミングになった西川周作に話しかける。
「暑いっすねー。いい汗かけそう!」
笑顔で返してくる守護神に、思わずこちらも笑顔で「ポジティブだねえ」と返した。
「考え方次第だし、この暑さは想定内だから大丈夫!」
日本代表活動でも遠征しなれている彼にとっては、この暑さや移動も経験済みだった。やっぱり、うちの選手は頼もしいな、とあらためて感じる。

チェックインも無事終え、順調に飛行機に乗って、ブリーラムへ。フライトは1時間ほどで、特に揺れもなく、無事目的地へ到着した。



飛行機から外に出る。
バンコクよりもさらに暑さと湿度を感じ、思わず、「うわっ」とつぶやいてしまった。
気温は39度。日本の真夏と同じような気候だった。

隣を歩く青木拓矢がつぶやく。
「これはヤバイね」
「日本の真夏くらいかな」と返す。
「いや、湿度とか考えると真夏以上じゃない?」

滞在してまだ二日だが、タイは建物内でクーラーが効いていて寒く、外に出ると、真夏のように暑い。体調管理に気をつけないと、コンディション維持が難しそうだな、と感じた。

空港へは、先乗りしていた強化部のホリさんと競技運営部のOくんが迎えに来てくれていた。長距離の移動直後になじみの顔が見られるのは、ホッとする。

ホリさんやOくんは、3日の磐田戦の後、スタジアムを出て空港へ向かい、その日の深夜にタイへと発っていた。チームの行程管理やホテルでの受け入れ体制など、さまざまなことを先回りして、準備をしてくれていた。

選手たちはバスに乗り、宿泊ホテルへ。こちらも約30分で到着した。

ホテルでの出迎えには、チームより一足先にトラックでチーム荷物を運んでくれた西鉄旅行のOさんの姿もあった。さすがに深夜から早朝にかけて陸路で7時間の移動だったため、Oさんにも疲労の色が見えた。
すでに午前中に届いていた荷物は、キットルーム、メディカルルームにするホテルの部屋へと運び込まれている。

選手たちは食事会場に向かい、遅めの昼食を摂る。マネジャーの関くん、私やスタッフ数名は、夕方のトレーニングに間に合わせるため、キットルームへと荷ほどきに向かった。

選手は食事を終えると、トレーニングウェアやスパイクを取りに来る。それまでに間に合わせないといけない。

「選手のウェアをいつもどおり出してもらって良いですか」
「OK」
関くんからの指示を受け、準備に取りかかる。ウェアの用意のほか、ボールの空気入れ、スパイクバックの整理、さまざまな準備に取りかかった。



結局、暑さと移動の疲れを考慮し、この日のトレーニングはホテル内プールでのアクティビティーと食事前のミーティングとなったが、スムーズに準備を終えて、ブリーラムでの1日目を終えた。



明日はもう試合前日。大会公式のプログラムとして、監督と選手が出席する会見と公式練習が行われる。


5月6日、試合前日。
朝食は午前7時から9時半のフリータイムだった。
選手、スタッフは思い思いの時間で食事に来る。

私は7時過ぎに会場へ行く。朝食はそんなに食べる方ではないため、ヨーグルトとパンを皿に載せ、コーヒーを持ってテーブルに着いた。

食事会場には、ACLではおなじみとなった西シェフがいる。こういう遠征では食事が楽しみな部分が多いので、西シェフの存在は選手をはじめ、チームにとって非常に心強いものだった。

西さんは昼食、夕食はパスタを、朝食では卵料理をその場で作ってくれる。
テーブルから見ていると、タイ人のコックが西さんのオムレツの作り方を真剣なまなざしで見ていた。



韓国遠征のホテルでも、韓国人のコックが西さんにペペロンチーノの作り方を教わっていた。西さんの料理の腕は国を越えても評価される。パンをほおばり、コーヒーを飲みながら、なんだか少し誇らしい気分になった。

14時30分、マッチコーディネーションミーティングというものがブリーラムスタジアムで行われるため、強化部のホリさん、競技運営部のOくんとSくん、広報部のもう一人のスタッフAくん、そして、Jリーグからサポートに来てくれているTさんと私の6人で、バンに乗り、スタジアムに向かった。

ホテルから5分ほどでスタジアムに到着すると、ブリーラムのモッドゥさんという広報担当が出迎えてくれる。気さくな明るい雰囲気の人だ。エレベーターで3階に上がってミーティングルームに案内された。
マッチコーディネーションミーティングは、試合運営のすべての責任を負うマッチコミッショナーと審判団を統括するレフェリーアセッサー、両チームの運営、広報などのクラブスタッフ、そして放映権などを有する代理店のスタッフが参加し、翌日の試合のレギュレーションなどを確認する場だ。

両チームのユニフォームの色やウォーミングアップスペース、試合後にクールダウンでピッチを使えるかどうかなど、さまざまなことが確認される。



プロジェクターで映されたスライドに沿って、マッチコミッショナーが話をし、進行していく。特に大きな問題はなく、15分ほどでマッチコーディネーションミーティングは終わった。

競技的に気になったのは、アップスペースが狭いため、試合中一度に選手3人までしかアップできないということ。

JリーグのサポートメンバーのTさんも「こういうケースはあまり聞いたことがないですね」ということだったが、スタジアムの構造上仕方ないということなのだろう。すぐにホリさんがチームに連絡を入れ、情報を共有した。

マッチコーディネーションミーティングを終えると、広報スタッフのAくんと私以外は、一度、ホテルへと戻った。

ブリーラムが16時に公式会見、17時に冒頭15分公開のトレーニングを行うスケジュールで、私たちは日本のメディアの方たちの受け入れのため、念のためスタジアムに残った。



公式会見の間、少しの時間ができたため、Aくんとスタジアムの導線を確認する。
「ここがミックスゾーンか」
「そうですね」
「選手と監督たちはこの入り口からスタジアムに入る感じだね。ロッカーは・・・」
「こっちみたいですね」

プレミアリーグのレスターシティのホームスタジアムを模して作られているというスタジアムはコンパクトで動きやすかった。

「これなら選手もミックスまでの導線は問題ないね」
「はい」
「アライバルインタビューはここかな?」
「確認します」

Aくんはシンガポールやアメリカに住んでいたこともあり、英語が堪能だ。非常にオープンな性格でどの国の担当とも友好関係を築き、仕事をスムーズに進めていく。

ACLでは、今回Jリーグがサポートメンバーを派遣してくれるように、各国のリーグ担当者などが広報、運営とサポートメンバーを設置している。

Aくんは、私たちの近くにいたボウさんというタイサッカー協会の女性スタッフに聞いて、その場所がアライバルインタビューの場所だということを確認してくれた。

ACLもリーグと同様、試合日に選手バスが到着すると、監督がインタビューを受けなければならないレギュレーションとなっている。

いくつかの確認事項を見て回り、現地に到着した日本のメディアの方たちとコミュニケーションを取っていると、ブリーラムの公式会見の時間が迫っていた。

会見ルームの扉が開き、ブリーラムのボジダル バンドビッチ監督とスシャオ ヌットヌム選手が入ってくる。



ACLでは、その会見の当該クラブに、たとえばその国の言語で話されたものを、英語に通訳するところまで義務として課している。

バンドビッチ監督は英語を話したが、スシャオ ヌットヌム選手はタイ語で話しため、ブリーラム側の通訳が英語に訳した。

日本から来ているメディアの方たちも全員が英語をわかるわけではない。Aくんが日本メディアのみなさんの近くに座ってウィスパリングというささやく形で英語を日本語へと変換していった。

会見で話されたのは、明日はブリーラムにとって重要な試合で勝利を目指す、というもので、比較的あたりさわりのないものだった。質問も2つだけ。タイのメディアはあまり積極的ではないのだろうか?

浦和レッズの公式会見は、17時45分から。公式練習は18時15分からだった。
私とAくんは、一度、アウェイチームのロッカーに戻り、簡単に手順などの打ち合わせをして、監督と選手を待った。今回の出席選手は長澤和輝だった。

ここ数年、柏木陽介、興梠慎三、槙野智章、そして西川周作や宇賀神友弥などの世代が主力であり、チームの顔として今も活動している。そのため浦和レッズというと彼らのイメージが強いかもしれない。
長澤は一つ下の世代の選手になるが、聡明でメディア対応などもしっかりとでき、チーム内への発信もできる選手。浦和レッズの選手たちは、それぞれにみんな個性的でリーダーシップを持っているので、いつも広報的には助けられているのだけれど、長澤は次代の顔になってほしいなと感じる人材の一人だった。

出席選手の選定は、翌日に試合に出場する見込みの選手というレギュレーションがある。翌日のメンバー選考に関わることでもあるため、強化部のK部長が監督と調整して、広報的な意見も取り入れて最終的に決まる。

「今回はどうしようか」
この日の前の夕食のときに、K部長と会見選手の選定については話していた。
「和輝くんはどうですかね」
「和輝か、いいね。あいつもそろそろそういう感じになってほしいもんね」
「はい」
その後、K部長が監督と話をし、長澤で決まっていた。

実は、先日の全北現代戦の会見に青木拓矢が出席したのも、同様の思いがあったからだった。このときはK部長から「青木はどうだろう?そろそろあいつにもこういう場でチームの顔としてふるまってほしいんだけど」と言われ、広報的にも賛成で、思惑が一致したため、彼となった。

青木に伝えたときは、はじめは「えっ、俺?」と驚き、その顔がきょとんとしているのが、なんとも彼らしく、おもしろかったのだけれど(笑)。

17時25分、チームより一足早く監督と長澤、通訳の羽生さんを乗せたバンが到着する。アウェイチームのロッカールームへと案内し、時間まで待ってもらうことになった。

その間、チームも到着。この日と試合日に使う飲料水も運び込まれた。ACLでは、AFCのパートナー企業以外のロゴなどに強い制限が掛けられている。Jリーグ用のユニフォームではついている企業ロゴが、ACLユニフォームではついていないのはそのためだ。当然、飲料水のラベルもはがさなければならず、スタッフではがしていった。



会見の時間になる。歩いて、1分もかからない会見ルームへ監督、長澤、羽生さん、Aくんが入っていった。今回、Aくんは壇上に上がり、日本語と英語の変換を行う。タイメディアからのタイ語の質問は、さきほどアライバルインタビューの場所を教えてくれた、今回の会見の司会を行っているボウさんが英語に変換してくれることとなっていた。
会見が始まる。オリヴェイラ監督はリラックスした様子で、余裕が感じられた。長澤もはきはきとした口調で、しっかりとこの試合がどういった意味のある試合かを伝えていた。



この会見では、タイメディアからの質問も出た。どうやら彼らは対戦相手に対して、より興味を持っていたらしい。

会見が終わると、最後にオリヴェイラ監督が笑顔で話し始める。
「この会見では、タイ語、ポルトガル語、日本語、英語と4カ国語が飛び交いましたね(笑)。もしかすると、私たちの意図が少し伝わりづらいところもあったかもしれません。何より私が混乱しました(笑)。コップンカ!」

そんなジョークと現地語でありがとうと言うと、タイのメディアから好意的な拍手が起こった。オリヴェイラ監督は、こういった雰囲気づくりが本当にうまい。

公式練習は、時間どおり18時15分から始まった。公開は冒頭15分。
トレーニングはレギュレーション上、ピッチに入ってからきっちり1時間しか行えないため、その少し前から石栗コーチが選手たちをピッチ脇に並べて、ウォーミングアップをはじめていた。ピッチでのトレーニング時間をなるべく長く確保するためだった。小さいことだけれど、こんなところも、経験を積み重ねてきたからこそできることだろうなと感じた。



トレーニングは、ACLアウェイ前日のいつもどおりの流れで行われ、特に問題なく終了した。

練習後には、タイ・チェンマイのバーンロムサイの子供たちが激励に駆けつけてくれ、選手たちと記念撮影を行った。競技運営部のOくんがバーンロムサイの方たちと連絡を取り、強化部のK部長がチームとの段取りを図ってくれた。

バーンロムサイは、日本人女性が経営しているHIV/AIDSに母子感染した孤児たちの生活施設で、浦和レッズハートフルクラブが2008年にタイを訪問して以降、交流を深めてきた。 当時はその地域でのHIV/AIDS感染者への偏見や差別も強く、村と施設の交流はないどころか、迫害を受けることすらあったとのことだった。
ただ、浦和レッズハートフルクラブが村のグラウンドを借りて村の子供たちと一緒にバーンロムサイの子供たちに継続的にサッカーを教えたこともきっかけとなって、村の方たちのHIV/AIDSへの差別や偏見が払拭されることとなり、今では地域の中で受け入れられているという。

小さな事かも知れないけれど、試合前日にこうした場を設けられたこと、そして、ハートフルクラブのみなさんやスタッフ、関わってくださった方たちの存在がこうした光景につながっている。バーロムサイの子供たちも喜んでくれたが、記念撮影はすばらしいことだと感じたし、こちらもうれしくなる出来事だった。



ミックスゾーンに行く。
すると、日本メディアのみなさんが入れるエリアが柵で囲われていて、選手がバスに乗る導線から少し距離があった。

せっかく日本から来てくれているメディアの方たちが取材しづらい状況というのはさけたかったため、Aくんを通じて、融通を利かせて欲しいと、タイの広報担当に伝えて、取材エリアを選手導線まで入れるようにしてもらった。

その後、無事取材対応も終え、選手バスがスタジアムを後にする。そこには、日本から来たファン・サポーターの方が数名すでに来ていて、横断幕などを掲げて、選手を見送ってくれた。

試合前日のスタジアムでのすべてのアクティビティーを終えて、ホテルに戻る。いよいよ、決戦の日が近づいてきていた。

(後編に続く)