5月7日、試合当日。
13時半ごろ、クラブスタッフでチームの荷物をトラックへと積み込む。タイ人のコーディネーター、トンさんがホテルのスタッフを手配してくれ、予定よりもスムーズに準備ができた。
気温は35度を優に超えていた。ホテルを出発する前から、すでに汗が止まらない。
14時。バンに乗り、先発隊が荷物を載せたトラックとともにスタジアムへ出発する。強化部のホリさん、競技運営部スタッフ3人、マネジャーの関くん、広報部スタッフの2人、そしてJリーグからサポートに来てくれているTさんの8人が向かった。
スタジアム到着後、すぐに荷物をアウェイチーム側のロッカールームへと移動し、荷ほどきに取りかかる。
メディカルチームの作業場所の確保、スパイク、ユニフォーム、トレーニングウェア。関くんがロッカーの間取りから最も選手やコーチングスタッフが快適に仕事をできるようデザインし、指示していく。
私たちはその指示に従って、準備をしていった。
するとしばらくして、タイ人のスタッフが大きな袋いっぱいに入った氷をいくつも持って来てくれた。シャワールームの近くには、大きなクーラーボックスがあり、その中に収めていってくれる。
「こんなの用意してくれるんだね」
隣にいた関くんに話すと、関くんがつぶやく。
「袋から氷を出して、これに直に入れて、ペットボトルの水を冷やそうかな、それが効率がよい気がする」
「いいんじゃない。やろう」
この暑さの中では、冷えている水は大量に用意しておくにこしたことはない。袋から氷を取り出し、簡易的な冷蔵庫にして、飲料水を冷やした。
「このクーラーボックスは優秀だね」
関くんが言う。
「うん、さすが暑い国だけはあるね」
そうこうしているうちに、中継用のロッカー撮影の時間になった。
放映権を管理している代理店のスタッフが中継スタッフと共にやってくる。
ジニーという女性スタッフは、きれいにユニフォームが飾られ、整理されているロッカールームを見て、感動した様子だった。これまでの対戦相手では、きれいに整理されたロッカールームにあまり出会ったことがないようだった。
チームを受け入れる準備を整え終わると、みんなが汗だくになっていた。
「昨日とはまたちょっと暑さが違うね」
ホリさんが言う。
「そうですね。これは試合中、気候的にも厳しいかも」と返す。
「うん」
ピッチに出る。
すでに日本から後押しをしに駆けつけてくれたファン・サポーターのみなさんがスタンドに入っていた。競技運営部のOくんの話では300人ほどの方たちが駆けつけてくれるとのことだった。
見慣れた横断幕などでスタンドの一角を赤色に染める。
横断幕など一つとってみても、海外のしかもブリーラムという遠征地まで持ってくることは容易ではないことは想像できる。頼もしさとありがたさに身が引き締まる思いがした。
チームは時間どおり16時過ぎに到着した。
オリヴェイラ監督は、ロッカー近くのインタビュー場所で3つの質問を受ける。ブリーラムが強敵であること、しっかりと結果を残すために戦うことなど、いつもどおり話していた。
16時半。暑さは和らいでいなかった。
チームドクターの関先生が暑さ指数であるWBGTの数値を見せてくれる。FIFAが定めているクーリングブレイクが必要な32度を超えている状況だった。
「これならクーリングブレイクがあった方がよいよね」
関先生が言う。監督に確認すると、要請してほしいということだったので、関先生が競技運営部のSくんにそのことを伝えた。
「マッチコミッショナーやレフェリーアセッサーにも伝えます」
個人的には、このあと気候が落ち着いたとしても給水タイムがあった方が試合を有利に進められるだろうと思った。それと一度、中断があると、短い時間であっても、そこで意志の疎通を行う時間が得られる。マッチコミッショナーが受け入れてくれるといいな、と思った。
17時過ぎ。レフェリーアセッサーから1分の給水タイムが設けられることが伝えられた。
Sくんが熱意を持って伝えたことが受け入れられたらしい。良い流れを引き寄せているな、と思った。
試合開始約50分前。選手たちがピッチに現れていた。ピークより少し暑さは落ち着いたものの、それでも十分とは言えなかった。ときおり吹く風が暑さを和らいだ感覚にさせてくれたが、これが試合中も吹いてくれるのかどうか…。
キックオフ15分前。
記者席へと上がる。今回、ピッチ周りにいることができるADに限りがあり、Aくんにピッチ周りを担当してもらって、試合終盤まで私が記者席からフォローする形を取っていた。
18時。試合がキックオフする。
ブリーラムスタジアムのメインスタンド側、上層に位置する記者席は見やすかった。久しぶりに俯瞰的に見るゲームは平面でみるよりも、ゲームの全体像という意味では、さまざまな情報を与えてくれる。
ノートに、浦和レッズとブリーラムのシステムをかみ合わせるように書いていく。オフィシャルメディアのスタッフが書いてくれるマッチレポートの校正をするときのためだ。
正直、ブリーラムの立ち上がりは控えめに言っても鈍かった。ペドロ ジュニオールや9番、19番が前線に残り、あまり守備に意識をさいているように見えなかった。選手たちは、やすやすと相手の第一守備ラインを越え、ブリーラム陣内へ侵入する。
その先には2枚のMF、5枚のDF、そしてGKという並びだった。
この日、右センターバックに入った鈴木大輔、中央の岩波拓也もその特長である斜めの縦パスを何度か効果的に入れて、チームを前進させた。
広大に広がっている中盤のスペースを、武藤が前線から下りて利用したり、エヴェルトン、長澤らが効果的に使ったりして主導権をたぐり寄せていく。
3分、試合が動く。エヴェルトンからのパスを受けた興梠慎三が反転し、右足を振り抜いた。ゴール左隅のコースに飛んだボールは、相手GKが触ることなく、ネットを揺らした。
思わず拍手してしまった。仕事上、あまり感情を表に出さないことを心がけているのだけれど、心の中で、「よし!」と、つぶやく。
しかし、13分、優勢に進めている中で、ミスから失点してしまう。
この失点は、ブリーラムがカウンターに移ったときの鋭さ、推進力が確かなものであることを感じさせた。
さすがにACLのアウェイでそんなに簡単にはいかないよな、と思った。
16分、岩波がピッチやや右から少し前に運び、対角線上に鋭いロングパスを見せる。最終ラインぎりぎりで背後を狙っていた山中へと渡り、決定機となったが、相手GKに阻まれた。
単発でチャンスを作るものの、やや選手たちの動きが停滞しつつあるように見えた。
失点したからか、と思ったが、どうやらそれだけではなさそうだった。もしかしたら、もう暑さの影響が出ているのかもしれない、と想像した。
それでも23分。待望の追加点が入る。
相手陣内やや左で興梠慎三がペナルティーエリア前中央にいるエヴェルトンへ斜めのパスを入れる。エヴェルトンは相手DFに囲まれ、ボールをコントロールしきれなかったが、運良く前にこぼれ、その先にいた武藤につないだ。
武藤は左足で冷静にゴール右に流し込んだ。これが彼の今季初ゴールだった。
さらにその1分後、給水タイムが入る。
よいタイミングだった。リザーブの選手、コーチングスタッフが一斉にベンチから出て、ピッチの選手たちに水を渡し、会話をしているのが見えた。
追加点とこの給水タイムを境に選手は息をつき、もう一度、盛り返したように見えた。
その後も、攻撃では槙野が相手ディフェンスラインの背後にタイミングよくボールを送り、武藤の決定機を演出し、守備では40分に青木拓矢が身を挺して決定機を阻止、アディショナルタイムには鈴木大輔がディフェンスラインを押し上げ、オフサイドをつかむなど、集中した様子を見せていた。
ハーフタイムを終え、後半が始まる。
少しすると、徐々に意図が合わないようなパスミスが目立ってきた。より体力的に厳しくなってきたのかもしれない。
後半は一進一退という様相だったが、チャンスの質ではこちらの方が上回っていた。
しかし、終盤。ブリーラムの応援団がちょっとでもチャンスっぽい形になると、両手に持った細長いバルーンのようなものを叩く。まるで雷のような音に、少しスタジアムに圧力が加わる感じがした。
気温は34度。最後は気力の勝負だったように思う。両チーム、次々と交代し、総力戦となった。
85分を過ぎ、ピッチ周りへと下りる。
このまま勝てば、試合後のMVPの表彰と中継用のインタビューが行われる。
Aくんと落ち合い、マッチコミッショナーのMVPの選定と中継局のインタビュー選手の希望を聞く。
「武藤かな?」
「MVPが興梠で、インタビューが武藤です」
「了解。じゃあ、Aくんは慎三くんを両チームの挨拶後に連れてきて。武藤くんはベンチにいるから連れてくるよ」
「わかりました」
アディショナルタイムは4分だった。
ピッチ近くに来ると、記者席とは違い、選手たちの息づかいやボールを蹴る音が迫力を持って伝わってくる。
選手たちは力を振り絞り、戦っていた。
終了のホイッスル。ベンチで監督やコーチングスタッフ、選手たちが歓喜の声をあげる。
グループステージの突破の可能性を自力の目を残して、ホームにつなげることができた瞬間だった。
ベンチ前で選手やコーチングスタッフがハイタッチをしている中、武藤と目が合う。決勝点を入れたヒーローは、「俺?」という感じで自分を指さした。
笑顔でうなずき、「武藤くんが中継のインタビュー。慎三くんがMVPの表彰をやるから、ちょっと待ってて」
目の前では、興梠が表彰を受け、記念撮影をしていた。
武藤はベンチ脇の階段に腰を掛け待っていた。用意した水とタオルを渡し、話しかける。
「ナイスゴール。気候はちょっときつかった?」
「前半最初に結構攻めたじゃないですか。ばーっと行って。やっぱり前日の練習とはちょっと気候も違ったし、スプリントも練習とは強度が違うから。スタジアムの熱気もあって、湿度も感じたから、それでうちらも結構疲れちゃって(苦笑)」
「ちょっと苦しそうには見えてた」
「でも、追加点が取れたからよかったです」
「間違いないね」
インタビューの準備が整い、武藤をインタビュー場所に促した。
その途中でAくんが、MVPの表彰が終わった興梠のファン・サポーターへの挨拶を、武藤のインタビュー後まで待たせるか聞いてくれた。
「いや、先に行かせて大丈夫」と応える。
過酷なアウェイの地で勝利をたぐり寄せたヒーローの二人には、それぞれにファン・サポーターからの声援を一身に浴びる機会を作りたかった。
武藤は確かな口調で、インタビューに応じ、その後、ファン・サポーターの待つ場所へと向かった。声援を受ける。背番号9のFWの表情は、満足そうな表情で応えた後、ロッカーに引き上げるころには真剣なまなざしで、すぐに次の試合のことに頭の中は切り替わっている様子だった。
試合後、ロッカールームは明るい雰囲気に包まれていた。誰もがグループステージ突破へホーム埼スタに希望をつなげたことを喜んでいた。
選手たちはシャワーを浴び、ミックスゾーンへと向かう。取材を終え、順調に選手バスは出た。
その後、スタッフが荷物を運び、ホテルへ戻ったのは21時ごろだった。
マネジャーの関くんや裏方のスタッフは、チーム荷物の梱包など、すぐに帰りの荷造りに取りかかった。
帰りもチーム荷物は陸路になる。
空港でのチェックインをスムーズに終え、選手たちに負荷を掛けないよう、今回は、関くんとホリさん、裏方のスタッフの若手がバンに乗り、陸路でスワナンプーム空港までこの日の24時発で行くこととなっていた。すでに次のリーグ、名古屋戦の準備が始まっている。
私は今回他の仕事もあり、そのメンバーには入っていなかった。
24時前。ホテルの下に迎えのバンと荷物を載せるトラックが着いていた。
「申し訳ないけど、頼むね」
中村GM、強化部のK部長、競技運営部のN部長、私などが見送った。