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阿部勇樹 現役引退発表記者会見 コメント

14日、阿部勇樹の現役引退発表記者会見がロイヤルパインズホテル浦和で行われ、阿部本人から引退を決意した理由やお世話になった方々、ファン・サポーターの方々への気持ちが語られた。

「本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。私、阿部勇樹は、2021シーズンをもちまして、プロサッカー選手を引退する決意をしました。長きにわたり応援してくださったファン・サポーターのみなさま、パートナー企業のみなさま、日本サッカー協会、Jリーグ、ジェフ千葉(ジェフユナイテッド市原・千葉)、レスター・シティ、浦和レッズの関係者のみなさま、ありがとうございました。本当に幸せなサッカー人生でした。ありがとうございます」

(今期の開幕戦でゴールを決めている姿を見て、まだまだ何年もできるんじゃないかと思っていたが、引退を決意するまでの経緯をお話しいただきたい)
「今年が始まった時点である程度、自分の年齢も考えて、勝負の年、最後の年になるのではないかと考えていました。でも本来ならもっと早く引退するべきだったのかなと、振り返ってみたら思います。けれどサッカーを通じていろいろな方と出会い、いろいろな仲間に支えられて、選手寿命を延ばさせていただいたと思っています。実際に自分の中で、自分が40歳の誕生日を迎える前までにはある程度決めて、クラブにはお伝えしたいという思いがあったので、9月の頭にはクラブには伝えさせていただきました。もちろん今でもサッカーをしたいという思いはありますが、1年前のサッカーがしたいという思いと今とでは、サッカーをしたいという思いに少し変化と言いますか、差があるかなと自分では思っていて、その差が僕にとっては引退する合図なのかなと自分では考えて、決断させていただきました」

(プロとして25シーズン、その間に代表チームを除けば20人の監督の下でプレーした。いろいろな監督の下でプレーして、中でもプロ人生に影響を与えた方がいると思うが、どのような影響を与えられたのか?)
「本当に多くの監督に教えていただきました。その中でも、まず自分が変わるきっかけと言いますか、僕の考え方を変えてくれたイビチャ オシム監督には本当に感謝しております。まだまだ若い僕が、何が足りないのかということを考えるきっかけを与えてくれた監督です。監督の教えは今でも僕の中で大事にしていて、この先も忘れずにやっていこうと思っています。

そしてもう一人、浦和レッズで監督をしていたミシャ監督(ミハイロ ペトロヴィッチ監督)、監督もあらためてサッカーの楽しさ、面白さを教えてくれました。そのお二人の監督には感謝していします。ありがとうございます」

(少年時代から10数年間を過ごしたジェフ千葉、プロとして14シーズンプレーした浦和レッズ、この2クラブに対してはかなり特別な思いがあると思うが、それぞれへの思いを聞かせてください)
「ジェフに関して言えば、育成のときからサッカーをさせていただいて、運良くトップチームに行かせていただくことになりました。その中で、なんでそういった道に行けたのかと考えたとき、やはり身近に目標とする先輩がいました。今は湘南ベルマーレの監督をやられている山口 智監督、今は浦和レッズで仕事をされている酒井友之さん、そのお二人が、高校生でもJリーグに出場できるという道を開いてくれたと思っています。そういった方たちの存在が、僕もがんばればできるという気持ちにさせてくれた先輩方です。

いろいろな方にサポートしていただいて、ジェフでやらせていただきました。思い出としては、2005年に当時のナビスコカップ(現:YBCルヴァンカップ)で優勝したときに、優勝したことがないのでみんな喜び方が分からなかったというのを懐かしく覚えています。自分がプロサッカー選手になるきっかけを作ってくれたジェフ千葉の関係者のみなさんには、本当に感謝しております。ありがとうございます。

そして2007年から浦和レッズに移籍しました。当時、加入したのが一人だけだったので、少し寂しいというか、不安だなという思いがありましたけど、当時の選手の多くがサポートしてくださり、いろいろ助けてもらいました。中でもスタッフの方、当時から今現在でも信頼している水上さん(水上裕文:現 フットボール本部 強化担当課長)には、本当に多く助けていただきました。水さんがいなかったら、ここまで長くサッカーはできなかったと思うので、この場で申し訳ないのですが、感謝しています、ありがとうございます。

レッズに来て、この年齢までできるとは思っておらず、いろいろな人の助け、メディカルチームの助けだったり、コーチングスタッフの助けだったり、そして長く共に戦ってきた選手たちのおかげで、やってこられました。本当に多くの方に、浦和レッズの関係者の方に感謝しています、ありがとうございます」

(今日、11月14日は浦和レッズにとって、非常に忘れられない1日だと思う。2007年11月14日、浦和レッズが初めてAFCチャンピオンズリーグのタイトルを獲得した日であって、埼玉県民の日でもあるが、この日に引退会見を開くと決められた理由は?)
「クラブの方に相談していましたが、なるべく早く、もっと早く伝えた方がいいのではないかというアドバイスもいただいていたのですが、僕個人で直接お伝えしたい人だったり、というのがなかなかできていなかったので、何とか14日まで待っていただけないかというお話をさせていただきました。本当に無理を言って、クラブに了承してもらい、その日に2007年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)決勝が行われたことも覚えているので、ピッタリなんじゃないかと自分では思って、14日にさせていただきました」

(YouTubeでたくさんのファン・サポーターが見ていると思うが、ファン・サポーターにひと言を)
「ジェフ時代から、今は浦和レッズと、途中では海外を経験させていただきましたが、本当に多くの方に応援していただいたと思っています。それがモチベーションとなって、応援していただいた分、返さなければいけないというおもいの中で、ずっと戦ってきました。悲しいおもいをさせたシーズンもありますし、なるべくみなさんが笑顔になるような終わり方が毎試合できればいいかな、というのが自分の目標であり、モチベーションでありました。そういったみなさんの存在が、今年で40になりましたが、40までサッカー選手としてやらせていただいたと思っています。

本当に感謝しかありません。自分が苦しいときに声をかけていただいたり、そのおかげで何度も倒されそうになっても、ピッチでよみがえることができました。その中でただの応援ではなくて、スタジアムで、そしてテレビでご覧になっている方もそうですが、共にこの試合を戦っているんだな、というおもいにさせてくれた、本当に多くのファン・サポーターの方に感謝しています。ありがとうございます」

(引退を決意されたことで、この先どういう形でサッカーに関わっていきたいと思っているのか、あるいは全く違ったことを考えているのか、先のことについては?)
「僕個人としては考えていますが、23年間サッカーをやらせていただいて、本当に多くの監督に教えていただき、選手ともサッカーをしてきました。なので、僕は今後、指導者の道へ行きたいと考えています。逆に行かなければ、今まで教えていただいた監督に失礼なのではないかと自分は思っているので、その道へ新たなチャレンジをしたいと思っています」

(どのような指導者を目指したいか、というイメージについては?)
「もちろん目標とする監督、先ほどお二人の監督の名前を挙げさせていただきました。どんなにがんばっても、オシム監督やミシャ監督のようにはなれません。ただ教えていただいた考え方だったり、学んだことだったりというのは、間違いなく自分の中で生きるものだと思っています。なので、こうなっていきたいという目標はありますが、まず大事なのは、自分がどういう色を出していくのか。誰かのまねをすることではなく、こういった考えをしっかり持ってやっていくことが一番大事なのかなと、自分がこういうサッカーをしていくんだ、という考え方を強く持つことが大事なのかなと思っているので、そういったお二人の監督に負けないような指導者になっていけるようがんばっていきたいと思います」

(レッズで長くプレーしてきて、クラブのことも見てきたと思うが、浦和レッズの今いる選手、クラブに対して、この先こういうクラブになっていってほしいとか、こういう伝統みたいなものは残していってほしい、というものは?)
「今でも十分、浦和レッズというクラブはすごく大きいと思っています。しかし、全てが一つになっているかと言われたら、もしかしたらなりきれていない部分はあるのかなと思っています。これだけのチームが、浦和レッズの関係者、選手、現場スタッフ、応援してくださるファン・サポーターの方々が本当に一つになったときは、とんでもない力が発揮されるんじゃないかと、いつも思っています。さらに浦和レッズの名がアジア、世界に轟くようになっていくことが、僕自身が望んでいることなので、まだまだ選手として残り1ヵ月あるので、その中でもやれることはしっかりやっていきたいと思っていますし、レッズが好きなので、良くしていきたいなと、レッズの関係者のみなさんが思っているように、同じことを考えています。

そしてファン・サポーターの方にひと言だけ。いいことも悪いこともすぐにニュースになってしまうのが浦和レッズだと思っているので、僕ら選手は、子どもたちが『浦和レッズのサッカーはすごいね』『僕も浦和レッズのサッカー選手になりたい』と思われるようにプレーしなければいけないですし、いつも応援してくださるファン・サポーターの方々が、小さい子どもたちが『浦和レッズの応援ってすごいね』『俺たちも応援していきたい』と思われるような存在に、今でも十分なっているとは思いますけれども、最初に言ったように、もっともっと大きくしていくと考えるのであれば、もっともっと増やしてもいいのではないかと思います。選手もそうですし、一緒に戦ってくれているファン・サポーターの方々も一緒に、浦和レッズの先を見てやっていけたらいいのではないかと思うので、今はこういった状況なので話したりということはなかなかできませんが、そういった考えをお互いに持って、浦和レッズで一つになって進んでいければいいと思います」

(今まで一番近くで支えてこられているご家族は、どのような話をされていたか?)
「僕がサッカーをするにあたって、小学校からサッカーを始めて、当時両親には、送り迎えだったり、サッカーをする環境をいろいろ手伝っていただきました。父は野球が好きだったみたいですけど、でもこうやってサッカーをやらせていただいたことに、本当に感謝をしています。

それと妻、子どもたちにもいろいろサポートしてもらって、ここまでやらせていただきました。いつも『子どもが3人いるみたいだね』とよく言われていたのを覚えていますが、子どもたちも成長して、より一層僕もサッカーをがんばらなければいけないという気持ちにさせてくれたのが、家族の存在です。本当に、家族の存在がなければ戦ってこられなかったと思います。本当にありがとうございます」

(ご自身が見た阿部勇樹という選手は、どんなサッカー選手か?)
「僕自身は、ひと言でいうなら泣き虫です。すぐ泣きますね。それは幼い頃からそういったところがあったと思うので、僕の小さい頃を知っている方は、みなさん泣き虫だとおっしゃると思います。あまり表に態度を出したり発言したりしない方だと、自分では思います。それよりはプレーでしっかり見せなければいけない、プレーで言葉を伝えられたら、というおもいでここまでやってきたので、そういった男かなと。少し恥ずかしがり屋な男だなと思います。そこは僕自身、少し変えなければいけないところだったかなと、今でも反省はしています」

(阿部選手にとってサッカーとはどのようなものか?)
「サッカーを通じて、スポーツを通じて、本当にいろいろなことを学ばせていただきました。サッカーを通じて、いろいろな方と出会って、いろいろな話を聞けて、意見を交わして、本当に人間として成長させていただいたと思います。サッカーというスポーツをしていなかったら、今の自分は間違いなくないんじゃないかと思っています。本当に全てを懸けてサッカーというスポーツをやってきました。好きで好きでたまらないですね、サッカーが。選手は引退しますが、先ほど言ったように指導者の道へ行って、サッカーが好きな気持ちは持ち続けて、やっていきたいと思います」

(先ほど名前が出た水上裕文さんへの感謝の中身について、聞かせていただけるものを聞かせていただきたい)
「2007年に浦和レッズに加入したとき、ここロイヤルパインズホテルで待ち合わせをして浦和レッズでの活動がスタートしたときに最初に会ったのが、『水さん』でいいですかね、水さんでした。本当にこっちに来て何も分からない中でいろいろ教えてくれたりアドバイスをくれたり、僕もしつこいように水さんのところに行っていろいろ聞いたりして、嫌がらずに何でもすぐ力になっていただいたので、それから14年間、レスターにいたときも連絡を取り合っていましたし、帰ってきてからも本当にお世話になりました。

練習場でもそうですし、サッカーを離れたところでも相談に乗ってくれたり、本当にこうして相談できる方がいなかったらと考えると、僕にとっては本当にありがたい存在でいてくれました。試合で勝ったりとか、タイトルを獲ったときに、水さんが喜んでいる、笑っている顔を見るとこっちもうれしくて、そうやって喜んでいる顔を数多く見られるようにがんばろうかな、というおもいにさせていただきました。まだまだ返しきれていないと思いますけど、また違った形で喜ばせることができたら、とは考えています」

(阿部選手はAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を2度優勝したが、レッズにとってアジアで戦う意味をどう考えているか?)
「浦和レッズという名前がアジア、そして世界に広まっていくためには、Jリーグもそうですが、アジアの戦いはすごく大事だと思っています。海外のチームと試合をすることは、日本代表では行われると思いますが、クラブの試合ではなかなかそういう機会がありません。ACLに出ないとそういった機会がありませんので、多くの選手にそういった雰囲気を経験してほしいと思っています。そういった経験は、今いる選手たちがさらに上に行くために必要なことなのではないかと思います。

そして、浦和レッズの関係者の方々、ファン・サポーターの方々も、アジア、世界を目標に、お仕事や活動をされていると思いますし、浦和レッズがさらに大きくなっていくために必要なことだと思います。ACLに出ることで学ぶことができますし、そういう中で戦っていかなければなりません。ACLでいろいろな経験をすることが浦和レッズに大事なこと、必要なことだと思います。国内の大会もありますが、それも目指して、ACLも目指す。まだ達成されていないことだと思いますが、浦和レッズがそういった大会に戻っていくことは、非常に大事だと思います。今シーズンも出場権獲得するチャンスがありますので、がんばりたいと思います」

(先ほど千葉やレッズへのおもいを話してくれたが、阿部選手は浦和のために、チームのために戦うということを常に口にしてきたし、その気持ちはファン・サポーターにも伝わっていると思う。浦和出身でもなく、レッズの生え抜きでもない阿部選手が、なぜそこまで浦和のために戦えたのか?)
「育成組織はジェフ出身で、育てていただいて、ジェフでも長くサッカーをやらせていただきましたが、今は浦和レッズの方が長くなりました。ジェフのときもそうでしたが、スタジアムに来て応援してくださるファン・サポーターの方々に笑顔で帰ってもらう責任をジェフのときに学び、キャプテンもやらせていただきました。そういうことをレッズに来てからさらに考えるようになり、戦うことができたと思います。

ファン・サポーターの方々がいつも、毎試合毎試合パワーをくれます。そのパワーに対してお返ししたい。選手にとっては、プレーを見ていただくことが一番の恩返しですし、返せなかった試合もありましたが、埼玉スタジアムに来ていただいたファン・サポーターの方々に笑顔で帰っていただくということがモチベーションになり、常に全力でプレーしなければいけないと考えさせてくれたと思います。ジェフで育ち、そういった教えをしていただき、レッズに来てからもそういうことが生かされていたと思います。それは忘れずにここまで戦えてこられたと思っています」

(阿部選手は育成組織の試合を観に行くこともあると思うが、阿部選手のようになりたいと思う子供たちへメッセージを)
「子供たちがプロの選手になりたいという憧れを持っていると思いますし、育成組織の存在はすごく大事だと思っています。先のことを考えて話をしていくと、浦和レッズの育成組織の選手たちは、未来につながる選手たちが多いと思います。トレーニングを見たり、試合を観させていただいたりして、そう思うことが多いです。直接、言葉で伝えられることもあると思いますが、実際に見て、感じ取ってもらうことが一番伝わるのではないかと思っています。

僕も小さいころにサッカーをやりたくないと思ったこともありますが、やめられないんですよね、好きだという気持ちがあるので。今の子供たちもサッカーが好きで、サッカーをやっていきたいという思いがあってやっていると思いますので、そういった気持ちを忘れないでほしいです。自分の中で変化があったとしても、サッカーが好きだ、サッカーが楽しいという気持ちを忘れずに進んでいってほしいと思います。

年齢が高くなっていくと、そういう気持ちを忘れてしまいがちだと思います。僕らサッカー選手もプロデビューしたときのような気持ちで今でもやれているかと思います。サッカーが好きだ、サッカーが楽しいんだという気持ちを忘れずにプレーしてほしいですし、僕らが楽しくプレーしていれば、子供たちも楽しいと感じてくれると思います。ですので、そういったことを子供たちに伝えたいですし、『あの選手はどういったプレーをしているのかな?』と子供自身に考えてもらうこともいいことだと思います。今後、指導者を目指していく中で、子供たちにそういったことを直接伝えられる機会もあると思いますので、そういうことは伝えていきたいです」

(レスターから帰ってきたときも、J1リーグのフィールドプレーヤーでの連続フル出場記録を作ったときも、「浦和レッズで何もなし得ていない」と言っていた。引退が決まった今、レッズでなし得たことは何か?それともなし得ることはできなかったのか?)
「できたことと、まだまだ足りないと思うことの両方があります。できたことといえば、チームとしてタイトルを獲ったとき、みんなで喜ぶ姿を大勢の方にお見せすることができました。そして、大勢の方が喜んでいる姿を見ることができました。それは、サッカーをやってきて幸せに感じることですし、なし得たことだと思います。ただ、全てできたかというと、できなかったことも多くあると思います。より高く目標を持ってやっていくと、振り返ってみればできなかったことが多く出てくると思います」

(心残りはあるか?)
「ここ最近ずっと振り返ってはいますが、心残りを1つ上げるとすれば、浦和レッズは昨年から3年計画という言葉で始めて今は2年目、来年が3年目です。その3年目を一緒に戦えたら、という考えもありましたが、それができずに申し訳ないと思います。本当に多くの方にメッセージをいただき、『3年計画の最終の年にいなくてどうするんだ』というお言葉もいただきましたが、自分の考えを大事にして決断させていただきました。僕自身も来年、浦和レッズがどうなっていくのか楽しみですし、一緒に戦っている気持ちでやっていきたいと思っています」

(指導者を目指すという話があったが、ライセンスの勉強をしたり、すでに講習を受けていたりするのか?指導者の目標であるオシムさん、ペトロヴィッチ監督からどういったことを学び、指導者として生かしていきたいか?)
「ライセンスは徐々に取っていく順番がありますので、しっかりとその順番で取っていけるようにがんばっていきます。現在は取れているものは取れているという状況です。

オシムさんには当時から『よく考えろ。考えて走って、考えてプレーしろ』と言われていました。その『考えろ』という言葉が心の中に強く残っています。サッカーだけではなく、サッカーから離れたところでも自分が何をすべきか、何を決断しなければいけないのか、そういったときに『考えろ』という言葉がすごく生かされていると思っています。今までも決断をしなければいけないときに、『考えろ』という言葉が生きていると思います。

ミシャ監督には『サッカーを楽しめ』とよく言われました。先ほども言ったように、自分が楽しまなければ、観ている人を楽しませることはできないと思います。ですので、まず自分がトレーニングから、そして試合でしっかりと楽しんでプレーすること、それを大勢の方に伝えることが大事だと思わせていただきました。そういった考えを大事にして、これから先、新しいチャレンジに向けてやっていきたいと思います」

(高校の制服を着てトレーニングに通っていたのがプロキャリアのスタートだったと思うが、当時の阿部少年に「君はこういうサッカー人生を歩んで、こういうサッカー選手になれるんだよ」と教えてあげるとすれば、どんな言葉を掛けてあげたいか?)

「当時は学校もありましたので、今言うのであれば、『勉強はしっかりしろ』と言いたいです(笑)。そして、『常にサッカーのことを考えろ』と言いますかね。僕自身、多くの方に教えていただいて、『遊んだりゆっくりしたりするのは引退してからで十分だろ。現役のときは常にサッカーのことを考えて、サッカーをしろ』と教えていただきながらやってきました。高校時代の自分には『サッカーを好きな気持ちを持って、集中しろ』と言いますかね。遊びたい気持ちもあるでしょうが、『終わってから遊びなさい』と言います」

(9年前にレスターから帰ってきた際に、記者会見でレッズに帰ってきた理由の一つとして、「天皇杯が終わって場内を一周したときにファン・サポーターから『また帰ってこいよ』と言われた」と言っていた。阿部選手は直接ファン・サポーターに伝えてきたが、今日の内容を言わずにメディアに来てもらうことも、YouTubeでライブ配信されることも、直接ファン・サポーターに伝えたいということだったのか?)
「自分がこの決断をして、自分の口で直接お伝えしたいという方がたくさんいました。共に戦ってくれたファン・サポーターの方々に対しても、自分の口から感謝とこういう決断をしたことをお伝えしたかったです。そうじゃないと失礼だと思いました。これだけ長く支えてもらって、応援していただいて、助けてもらいましたので、その考えがありました。浦和レッズの関係者の方々に協力していただき、こういう場を設けさせていただき、本当に感謝しています。ありがとうございます」

(「ACLの『立てない』が思い出される。全身全霊で浦和のために闘ってくれた」、「あなたがいる浦和レッズの試合を観て、サッカーが好きになりました」、「阿部ちゃん、今までありがとう。最後に天皇杯を獲ろう」という言葉をはじめ、たくさんのファン・サポーターからメッセージが届いているが、それを聞いてどうか?)
「本当に幸せだと思います。『サッカーが好きになりました』という言葉を聞いて、サッカーをやってきて良かったと思います。本当に支えていただきましたし、本当に共に闘っていただきました。ありがとうございました」

【サプライズゲストとして登場したMLBのシンシナティ・レッズ所属、秋山翔吾選手】
「阿部さん、現役生活、本当にお疲れ様でした。種目は違いましたが、僕自身、いろいろな機会をいただき、ご一緒させていただいて、リーダーとしての姿を見せていただいたと思っています。阿部さんの現役が終わるころまで僕もがんばりたいと思っていましたし、これからもいち阿部ファンとして応援していますので、これからも仲良くしてほしいと思います。本当にお疲れ様でした」

【サプライズゲストとして登場した恩師・大木誠先生】
「長い間お疲れ様でした。最初に自己紹介をしたときの『阿部でしゅ』という言葉からもう何年が経ったでしょうか。本当によくがんばって、いろいろなファン・サポーターの人たちを楽しませてくれたと思います。これからは経験したことを次の世代にぜひ伝えて、日本のためにがんばってください。お疲れ様でした」

【阿部勇樹】
(今日はどんな会見になったか?)
「本当にこういった場を与えてくださった浦和レッズの関係者のみなさん、ここロイヤルパインズホテル浦和の関係者の方々に感謝しています。そして、高校サッカー選手権予選の決勝がたくさん行われている中、大勢のメディアの方にお越しいただき、本当にありがとうございました」

(阿部選手からメディアのみなさんにプレゼントがあるようだが?)
「僕の妻の実家がお米を作っていますが、僕はそのお米を食べて幸せなサッカー人生を送ってきました。そのお米をみなさんに食べていただきたいと思いまして、ご用意させていただきました。ぜひ持って帰っていただきたいと思います」​





【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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