News

26.09.18

『岐路ーKiroー』 菊池まりあ の選び取ってきたもの

見出し画像

選手たちに、これまでの道程で遭遇した分岐点の話を聞き、彼女たちのサッカーに対する思いやその姿を描くストーリー。第1回は、今季、三菱重工浦和レッズレディースに加入した菊池まりあ選手です。
移籍加入1年目、アンカーという新たなポジションに挑戦しながら、存在感を放つ背番号14のMFは、どのような道程を歩み、“いま”にたどり着いたのか。ぜひ、ご一読ください。

 

 

画像
 

忘れられない光景があるーー。

菊池まりあにとっての"いま"につながる、まさしく岐路となった光景。

2022年5月14日。国立競技場。

神村学園高等部からINAC神戸レオネッサに加入していた菊池は、国内トップリーグの選手として、2年目のシーズンを終えつつあった。

対戦相手は、三菱重工浦和レッズレディース。

だが、彼女がいたのは、ピッチではなく、国立競技場のスタンドだった。
観衆は12,330人。そのうちの一人として、彼女はピッチを見つめていた。

この試合、菊池はメンバー外だったからだ。

試合を見る中で菊池は、言いようもない感情に、身を焦がしていた。

当時、代表経験者が多く在籍していたI神戸は、すでにこのシーズンのリーグ優勝を決め、日本初の女子プロサッカーリーグであるWEリーグ初代王者の座を獲得していた。

だからかもしれない。

0-1で敗れた状況にも、チームには余裕のようなものが感じられた。

それは当然だとも思う。優勝を決めたのは、この1試合前であり、すでにシーズンの勝敗は決していたから。

でもーー。

菊池は、そんな状況の中でも自分がピッチに立てていないことに、無性に腹が立っていた。

ほかの誰かに対してではない。その現状にいる自分が許せなかった。

 

兄の背中を追い続けた幼少期

画像
 

菊池まりあのサッカー人生は、兄たちの存在から始まった。

宮崎県延岡市で、4人兄妹の末っ子として生まれた菊池には、7歳上、5歳上、2歳上と、3人の兄がいる。その兄たちがサッカーを始めたことで、菊池も自然とボールを蹴ることに親しんだ。

「兄がボールを蹴っていたから、自分も必然的にボールを蹴り始めました。保育園でも、サッカー教室みたいなのがあったので、そこでもやっていて」
真剣に取り組み始めたのは小学校1年生のころ。地元の少年団に入り、男子たちに混ざってプレーする。当時体格に恵まれていた彼女は「正直、無双できていた」そうだ。

だが、中学進学に伴い、状況も変わる。

女子サッカーの強豪である神村学園中等部に入学すると、全国からレベルの高い選手たちが集まり、しのぎを削ることになる。そして、年齢を重ねるごとに、他の選手の身体も成長し、フィジカルの差で解決できないことも増えていった。

「挫折というほどの挫折はなかったです。でも負けたくない気持ちはより強くなる環境でした」

 

「男に負けたらクビ」という父の教え

画像
 

その言葉が表すように菊池は「“めっちゃ”がつく、負けず嫌い」だ。

その根っこには、幼いころの環境の影響もあった。

菊池は笑いながら話す。

「父の教えが結構厳しかったんです。兄たちは私以上だったと思いますが、私にもとても厳しくて。小学生のころは、まず合い言葉が、『男に負けたらクビ!』でした 笑」

父はサッカーの専門知識があるわけではない。だが、「やるからには本気でやれ」という信念を持った人だった。

菊池が育った家は、やや人里離れた場所にあり、小学校へも車で送り迎えをしてもらう環境だった。

だから、放課後、彼女は友だちと遊ぶ時間を持てなかった。代わりにあったのは、父から与えられた練習のノルマだった。

「帰ってきたら、じゃあまず、何時までに絶対これをやっておきなさい!みたいな。リフティングもノルマの回数をやるまで帰ってきてはいけないみたいな雰囲気もあって」

小学生には厳しいと思える環境だが、振り返る彼女の口調は明るい。

「そのおかげで、男の子にも負けないという気持ちで頑張れたというか、成長もできました。だから父にはすごく感謝しています」

 

神村学園で芽吹いた、人間力

画像
 

進学した神村学園中等部は、両親が勧めてくれた場所であり、サッカーに取り組むことができる環境だった。

一方で、寮生活となり、普通は多感な時期に親元を離れることへの不安やホームシックになることもあるだろう。

だが、菊池は違った。厳しい環境から少し離れた学園生活は解放的であり、彼女には水が合ったのだ。

「神村には全国から選手が集まってくる環境で、中学生だとみんなホームシックになっていました。でも、私は全然なくて 笑。親離れ、最高!って感じでした」

そして、神村では、サッカー以外の要素だが、サッカーにもつながる大切なことを学ぶこともできた。

「上下関係も学べましたし、生活面でも大切なことを教えてもらいました。文武両道もそうですし、サッカーをする上でも大切な人間力的なところも学べました」

菊池は、よく周囲への感謝を口にする。それは、この中高6年間の神村学園での学びで、より培われたのかもしれない。

 

高卒でのトップ挑戦、そして2分間

画像
 

堂園彩乃、吉良知夏、そして柴田華絵。

彼女たちに代表されるように過去を含め、レッズレディースだけでも神村学園出身だった選手は数多くいる。

だが、菊池が進学したころには、神村学園から直接トップリーグへ進む選手はほぼいなかったそうだ。

「だから、どう行くんだろうってずっと思っていました。でも、ありがたいことにI神戸さんが声をかけてくれたんです」

複数の大学からも声を掛けてもらえたが、菊池の答えは決まっていた。

「トップレベルで本気でサッカーをしたい」

こうして菊池は、18歳でI神戸に加入し、トップリーグの世界に足を踏み入れる。

しかし、当時のI神戸には、岩渕真奈、田中美南、杉田妃和など、そうそうたるメンバーが名を連ねていた。日本を代表する選手たちの中で、彼女はもがき続けることになる。

「I神戸のときに、もう全然うまくいかないというか、全然自分を出せていなかったと思います」

考えることが大事だと先輩たちからアドバイスをもらうが、そもそも考え方が分からなかった。余裕がなく、自分らしさを表現できない悔しさ。

そして迎えた、あの国立競技場の一戦だった。

「試合に負けたけど、チームは優勝をしていたから少し安堵感というかそういうものも見えて。そうした状況なのに、自分はそのピッチにも立てない。その自分の実力のなさに、自分自身に一番イライラしちゃっていました。めっちゃ悔しかったのを覚えています」

加入1年目はリーグでメンバー入りすらできず、2年目もリーグの出場は2試合。記録に残っている出場時間は合わせてわずか2分だった。

 

「2年間で決断する」という覚悟

画像
 

だが、その悔しさが、菊池を停滞させなかった。

I神戸での2年間、菊池は多くのことを目の当たりにしている。代表選手たちの立ち居振る舞い、サッカーへの向き合い方、試合への姿勢。技術だけでなく、サッカーを深く「知ろうとする」選手たちの姿が、彼女の中に刻まれていた。

「うまいだけじゃないんです。あのクラスの選手たちでも、やっぱりもっとすごくサッカーを知ろうとする、そして知っている人たちでした」

菊池はそう振り返る。

やっぱりそういう人が上に行くんだーー。

その気付きとともに、菊池は、自分の中で一つの決断を下した。

「2年間で、活躍もそうだし、試合に出られなかったら移籍するというのを決めて、実際そうだったので、新天地を選びました」

「やり方を変えないと成長できないと感じたのが、I神戸での2年間だったんだと思います」

自分に期限を設け、そしてその通りに動く。他者に促されたものではなく、自らの意志で選びとった選択だった。

 

AC長野パルセイロ・レディースという選択

画像
 

移籍先に選んだのは、AC長野パルセイロ・レディースだった。

決め手は直感だったという。
だが、感性だけに任せたわけではない。

「アグレッシブに守備も行く、攻撃も積極的に出ていくようなサッカーをしていたので、アグレッシブさというところで自分には合うなと感じていました」

その結果、AC長野では、出場機会を増やすことができた。
しかし、あらたな課題も見つかり、移籍から1、2年はやはり平坦な道のりではなかった。

「なかなか余裕がなかったですよね。試合には出させてもらったけれど、試合に出るのとメンバー外とじゃ、負けたときの悔しさも全然違うことがわかりました」
そして、どちらが良い悪いではなく、チームによって、“負け”の重みが違うことにも気づいていく。

「I神戸は、やっぱり負けたときのピリッとした空気感がありました。逆にAC長野は、次、次という感じで、いろいろと発見がありました」

「だからAC長野では、もっとやらなければいけないと思いましたし、みんなとも本気で向き合って成長しようとしていました」

そして、その長野での日々の中で、菊池のプレーは新しい形を帯びていく。特に昨シーズン、トップ下でプレーするようになり、スペースへの認知力が研ぎ澄まされた。

「トップ下が1枚だったので、ボールに関わらないといけないところと、欲を言えば、フリーになれるポジションでもあったので、そこでスペースへの認知が向上した印象です」

「ここのスペースが空いていたら受けられるな、で、次、スペースを確保したら、相手も認知しながらターンしないといけないという感じで。自分の中でうまくいっていないときに、頭で整理しないといけないなというのが増えてきて向上できたような気がします」

昨シーズン、菊池は、リーグ21試合に出場し、4得点を記録。キャリアハイを達成した。もともと培っていた守備に、攻撃での武器を備え、プレーヤーとして一つレベルを上げたのだ。


 

「現状維持は退屈」という哲学

画像
 

こうした歩みを見ていると、菊池まりあという選手を語る上で欠かせないのが、「飽くなき向上心」だろう。

ゴールを決めても、試合に勝っても、そこで満足しない。以前、SNSのハッシュタグではこんな言葉を使い続けていた。

#現状維持は退屈

それは単なるフレーズではなく、菊池がサッカー人生を歩む上で大切にしている考え方でもあった。

そしてもう一つ。
彼女はこんな考えも教えてくれた。

「サッカーが好きだけじゃだめというか...。やっぱり悔しいと思っているかぎりは、自分はまだやれると思っています。悔しいって思えることがありがたいことだなと、めっちゃ思っています」

 

浦和という選択、そしてタイトルへの誓い

画像
 

だからこそ、ふたたび移籍を決断した。

複数クラブからのオファーの中で、三菱重工浦和レッズレディースへの移籍を決めたのだ。

その理由を彼女は次のように話す。

「もう本当にタイトルのためです。私はそんなに先を見れる方ではないですし、代表をめっちゃ目指すという感じでもないんです。だから1番はやっぱりこのチームでタイトルを獲りたいと思ったというのがあります」

そして、浦和に来て変わったことがある。

「レッズに来たら、すごくプラスの声がけが多いと感じました。誰かがミスしたり、ボールを奪われたとなったら、みんながカバーし合うという考え方。それをめっちゃ感じて」

以前は、チームを引っ張ろうとするあまりチームメートへの声掛けが強くなりすぎているかもと思うこともあった。だが、浦和という場所が、菊池に新たな視点をもたらした。

「わ、良いチームだなって思ったし、私自身もそれを体現しないといけないと感じました」

「だから自分自身がボールを奪われたときはもちろんですけど、味方が取られたボールとか、リミッターが外れて、全然スプリントが出るんです。その変化は自分でも感じています」

誰かのために、体が動く。チームメートとの絆が、菊池のパフォーマンスそのものを変えた。

監督との出会いが広げた、サッカーの地平

画像
 

そして、もう一つ浦和に来て感じたことがある。監督・堀孝史との出会いだ。

「自分のサッカー人生で出会った監督の中で、本当にすごいなと思いました」

堀が提示するサッカーは楽しい、と菊池は言う。それは単に楽しいというのではなく、もっと深いところから来る感覚だ。

「話を聞いていて、すごくサッカーのことを考えているんだなと感じます。考えこんでいるとかじゃなくて、サッカーに対して考えて、選手に伝えて、それがプレーに、試合中に再現として出てくるのがすごいなと」

落とし込む力。選手に伝える力。それらが菊池のプレーとかみ合い、アンカーというあらたな、そして重要なポジションへの挑戦の中で、日々充実感を覚えながらプレーできている。

「毎日充実していて、もちろんうまくいかないことや個人的に考えたりすることはあるんですけど、そういう環境も本当にありがたいなと思っています。アンカー1枚でもっとやれたら、チームとしても本当にもっともっと広がると思うし、自分自身もさらに改善できると思います」


 

目指される選手へ

画像
 

彼女はキャリアの先に何を見ているのか。そう尋ねると、菊池はちょっと困ったように「それめっちゃ難しいじゃないですか」と笑った。

そして、しばらく考えた後、静かに語り始めた。

「自分も誰かを目指すようになって、プロサッカー選手になりたいとか、やっぱり人の影響力があって、今があると思います」

「だから自分も、レッズに入った以上は、育成選手たちもそうだし、次の世代の将来につなげていかないといけないと感じています。未来をつないでいかないといけないのかなって。だから、目指される選手にもなっていかないといけないと考えています」

そうした自分自身のためだけではない、という考えは、彼女が培ってきた感謝の気持ちの表れなのだろう。

「サッカーができているのも、本当に周りの人のおかげだと思っています。自分だけの力でサッカーがやれているわけじゃないですし、いろんな人の支えがあって、ここまで来られています」
「だから、自分たちはその人たちに恩返しをしないといけないし、サッカーを知らない人たちにも伝えていかないといけない。そして、それはサッカーでしか伝えていけないところだから、自分たちの仕事を全うしないといけないと考えています」

画像
 

厳しかった父。出場機会がなくとも多くを学ばせてくれたI神戸の先輩たち。出場する中で共に成長することを目指したAC長野での経験。そして、たどり着いた浦和というチーム。それらを支え、応援し続けている人たち。

多くの人の存在があって、今の自分がある――そう理解しているからこそ、自分が誰かにとっての力になりたいと、菊池は考えているのだろう。

国立競技場のスタンドで感じた、あの日の悔しさは、いまも彼女の中にある。だが、その悔しさこそが、いくつもの岐路で、彼女に進むべき道を選ばせてきた。

そして、それぞれの岐路で選びとってきた道は、彼女の、サッカーへの純粋な思いで一点に向かっている。

タイトルへーー。

背番号14のMFは、まっすぐにその道を進む。

(文・写真/URL:OM)

画像
 

 

画像
 

MDIの原稿は、レッズレディースパートナーであるStoryHub社のプロダクトを活用し、人とAIが共創して作成させていただいております。
StoryHubについてはこちら▶https://storyhub.jp/

ニュース一覧に戻る