We are REDS!
一心不乱な選手のプレーに、スタジアムは熱く燃えあがる。
With single-minded focus, players ignite the stadium with fervor.
選手とファン・サポーターが一つになれば、どんな壁だって越えていける。
When players and supporters unite as one, no barrier is too great to overcome.
我々は共に戦い、共に喜び、共に涙する。
Together we fight, we rejoice, and we shed tears.
埼玉スタジアム、浦和駒場、そしてホームタウン。
Saitama Stadium, Urawa Komaba Stadium, and our hometown Saitama city.
この街と共に歩み、サッカーを通じて心をつなぎ、輪を大きく広げていく。
We walk with this football town, connecting hearts through football, expanding our community.
アジアの頂点となり、世界へ挑戦し続ける。
We aim for the top in Asia and continue to challenge the World.
私たちは浦和レッズ。情熱と誇りと共に。
We are Urawa Reds. Together with PASSION and PRIDE.
HONOURS.



2007 AFC CHAMPIONS LEAGUE CHAMPIONS
ACL初優勝、アジアの頂点に立つ

2017 AFC CHAMPIONS LEAGUE CHAMPIONS
ホーム全勝で2度目のアジア制覇を果たす

2022 AFC CHAMPIONS LEAGUE CHAMPIONS
大会史上最多となる3度目のアジア王者に

2006 J1 LEAGUECHAMPIONS
悲願のJリーグ初優勝を果たす

2003 J.LEAGUE CUPWINNERS
クラブ史上初のタイトルを獲得!

2016 J.LEAGUE CUPWINNERS
『ルヴァンカップ』初代王者に

2005 JFA EMPEROR`S CUPWINNERS
初めてアジアへの挑戦権を獲得

2006 JFA EMPEROR`S CUPWINNERS
前年に続き天皇杯を制し、リーグとの「ダブル」を達成

2018 JFA EMPEROR`S CUPWINNERS
手堅い守備で12年ぶりの天皇杯制覇

2021 JFA EMPEROR`S CUPWINNERS
『ALL for the ASIA』劇的な展開で天皇杯を制し、再びアジアの舞台へ

2006 OTHERS
スーパーカップ初制覇

2017 OTHERS
友情も生まれたシャペコエンセとの一戦

2022 OTHERS
16年ぶりのスーパーカップ制覇

2007 FIFA CLUB WORLD CUPPARTICIPATION
初めての世界の舞台で3位に輝く

2017 FIFA CLUB WORLD CUPPARTICIPATION
2度目の世界への挑戦は5位に終わる

2023 FIFA CLUB WORLD CUPPARTICIPATION
現在地が見えた3度目の世界挑戦

2025 FIFA CLUB WORLD CUPPARTICIPATION
新方式の世界大会へ挑む
INTERNATIONAL HEROES.
HISTORY.
episode0
BEFORE BIRTH
1992年3月に誕生した浦和レッドダイヤモンズは、「名門と名門の融合」でした。
名門の一つは、三菱サッカー部です。三菱は1969年以降、4回の日本サッカーリーグ優勝、4回の天皇杯優勝などの実績を持つ強豪クラブで、日本サッカー協会の役員や日本代表チームの監督を輩出するなど、日本サッカーを支えてきたクラブでした。
もう一つの名門は、「浦和」です。1908年、埼玉師範学校(現在の埼玉大学教育学部)に「蹴球部」が設立され、サッカーを学んだ学生たちが、その後教員となって埼玉県内の学校でサッカーを教えたことで、埼玉県は全国屈指のサッカー強豪県となりました。中でも浦和は、浦和高校、浦和西高校、浦和市立高校、浦和市立南高校の4校が、計21回の全国制覇をするなど、「サッカーのまち浦和」の歴史を築いてきました。
三菱サッカー部が浦和をホームタウンとしてプロサッカークラブ、浦和レッドダイヤモンズに移行したのは、運命的に出会い生まれた、サッカーの名門同士の融合だったのです。
episode1
FIRST 10 YEARS 1992-2001
1992年のプレ大会を経て1993年にスタートしたJリーグは人気が沸騰しました。浦和レッズもホームスタジアムの駒場競技場に、中に入れなくても雰囲気だけでも味わいたい多くの人が来場しました。しかし人気とは裏腹にレッズの成績は2年連続で年間最下位と低迷。どんなに負けても、熱い応援を続けるファン・サポーターだけがレッズの中で「日本一」と呼べる存在でした。
その後、元ドイツ代表選手のブッフバルトやドイツ人のオジェック監督が、プロ気質を植え付けるなどして、レッズは勝てるチームに変貌していきました。またホームタウンの協力により、スタジアムがそれまでの約2倍、2万人強の収容力を持つ駒場スタジアムに改修されました。しかし1999年、監督の途中交代、主力のケガなどの要因が重なり、Jリーグ2部(J2)に降格してしまいます。
J2で戦った2000年は、思わぬ苦戦を喫し、最終節でようやくJ1復帰を果たしました。そして捲土重来を期して臨んだ2001年のJ1での成績は伸びず、レッズはシーズン終了後、改革を敢行しました。
episode2
SECOND 10 YEARS 2002-2011
2001年の末に強化体制を一新した浦和レッズは、元日本代表監督のオフト氏を指揮官にし、チームを土台から強化する決断をしました。その策は成功し、レッズは2002年初めてJリーグカップの決勝に進出。翌2003年にはJリーグカップで初優勝を遂げました。さらに2004年にはリーグ戦の2ndステージで優勝。Jリーグが通年制となった2005年はリーグ戦こそ2位でしたが、天皇杯を初制覇しました。さらに2006年には待望のJリーグ優勝を果たし、その後天皇杯も制してシーズン2冠を獲得しました。
タイトル争いの常連に変貌したのは、腰を据えた地道なチーム作りの上に、日本代表クラスや強力な外国籍選手を獲得していった結果です。大型補強が可能になった背景には、2002年ワールドカップ会場として建設された6万3千人収容のアジア最大級のサッカー専用スタジアムである埼玉スタジアムでホームゲームを行い、来場者が大幅に増えたこともあります。また2004年から指揮を執ったブッフバルト監督が、居並ぶ実績のある選手たちをうまくマネジメントしていました。
2007年にはアジアチャンピオンズリーグ(ACL)に初出場し、日本で初めてACLを制したクラブになりました。アジアの代表として、世界大会であるFIFAクラブワールドカップにも出場し、そこで3位という成績を収めました。
誕生から10年以上、タイトルを獲るどころか2部降格まで経験しながらも、地元を中心とした熱は冷めず、Jリーグ一の入場者を生んできたレッズサポーターに対し、ようやく恩返しができた時期でした。その応援風景は、世界のメディアに取り上げられることもありました。
順調に成績を積み上げてきたレッズですが、2008年から歯車が狂い出し、成績は不振に。2011年にはJ2降格の危機にもさらされました。
なお、2004年の日本女子サッカーリーグ1部で優勝した、さいたまレイナスFCの運営がレッズに移管され、2005年から浦和レッズレディースとして活動を開始。女子サッカーのレベルアップと普及にも積極的に関わるようになりました。
episode3
THIRD 10 YEARS and NOW
2012年、ミハイロ ペトロヴィッチ監督が就任した浦和レッズは、また優勝争いに戻っていきます。攻撃的なサッカーで試合の主導権を握り、その年は3位。翌年は6位に後退しましたが、2014年はリーグ優勝を争い、最終的には2位で終わりました。リーグ戦が2ステージ制に戻った2015年は1stステージで優勝し、チャンピオンシップ準決勝で敗れ3位に。2016年は、Jリーグカップで13年ぶり2度目の優勝を果たし、さらに2ndステージを制した勢いで年間勝ち点1位という、実質リーグ優勝の成績を収めましたが、チャンピオンシップ決勝で敗れリーグ2位になりました。ペトロヴィッチ監督は5シーズンで2位を2回、3位を2回とリーグ優勝を常に争うところまでレッズを押し上げましたが、2017年の途中で成績不振を理由に指揮官交代となりました。
その後、監督が途中交代する時期が続きましたが、2017年は二度目のACL優勝、2018年は3度目の天皇杯優勝とタイトルは獲り続けます。2019年もACLで決勝まで進む健闘を見せました。
2020年、レッズは強化方針を大きく変更。目指すサッカーのコンセプトを定め、それに基づいて監督を選定していく方向に舵を切りました。その結果、2021年に天皇杯優勝、2022年はACL決勝に進み、2023年には前年から持ち越された決勝で勝利。前人未到、通算3度目というアジア最多優勝を成し遂げました。リーグ戦でも7年ぶりに終盤まで優勝の可能性を残し、4位に入りました。
2021年からの3シーズン、サッカーの内容に大きなブレがなく徐々に力をつけてきたレッズは、新しい10年をスタートさせています。コロナ禍で一時期減った入場者も、徐々に回復し、スタジアムを揺るがす応援が戻って来ました。その中で、これまで逃してきたタイトルを獲得していくことでしょう。
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