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コラム「各々の思い出と共に1000試合目を迎える日」

1992年9月5日。大宮サッカー場でヤマザキナビスコカップの予選リーグ第1節・浦和レッズ対ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)戦が行われた。

翌93年からのJリーグ開幕を盛り上げるために、プレ大会のような位置づけで行われた、誕生間もない(社)日本プロサッカーリーグ主催の公式大会。当時の看板やチケットの券面は「三菱浦和フットボールvs東日本JR古河サッカークラブ」となっていた。

この日の入場者は4,934人。開幕戦で土曜日の試合としては物足りなく思えるが、それまでの日本リーグの入場者と比べれば、大入りに感じられた。本部に詰めるクラブスタッフの顔が上気して見えたのも、プロ初の公式戦という理由だけではなかったはずだ。

人が多く集まるということは、それだけで気がざわめく。しかも同じ目的を持った人たちが、大いなる期待を持ってスタジアムに詰め掛けてくる様子は、ワクワクを越えた興奮すら覚える。

試合も沸いた。ともすればスローテンポになりがちだった当時の日本のサッカーだが、「自分はプロだ」という選手たちの使命感を「大観衆」が強い闘争心に押し上げた。常に前に攻めるというサッカーが、見る者をさらにヒートアップさせた。ちょうど、その年からGKがバックパスを手で扱えなくなったことも、スピード感に拍車をかけた。

結果は2-3でレッズが負けた。2-2から延長に入り、延長開始2分でジェフに決勝点が入った。その瞬間に試合が終わるVゴール(当時の呼称はサドンデスゴール)方式に戸惑いも感じたが、誰もが「また来よう」と心に決めてスタジアムを後にした。

これが浦和レッズ初の公式戦だった。

2014年10月18日(土)。Jリーグ第28節・ベガルタ仙台戦で、浦和レッズは通算999試合目の公式戦を終えた。

リーグ戦やヤマザキナビスコカップのようなJリーグ主催の大会もあれば、天皇杯のような日本サッカー協会主催の大会もある。トーナメント形式のヤマザキナビスコカップや天皇杯は、勝てば試合数が増えていくし、チャンピオンシップやゼロックススーパーカップのように、栄冠を勝ち取ったクラブだけに出場権が与えられる試合もある。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)、FIFAクラブワールドカップも出場するのが簡単ではない上部大会だ。いつの間にか開催されなくなったA3チャンピオンズカップのような大会もあった。

メモリアルな試合もたくさんある。

初戴冠の数時間後に監督辞意の報に接した03年ヤマザキナビスコカップ決勝。そこから07年ACL決勝までに数々のカップやシャーレを掲げ、そのたびに歓喜に浸った。逆に99年Jリーグ最終節広島戦のように、ピッチとスタンドに涙を吸い込ませた日もある。相手の優勝を目の前で見て悔しさに唇をかみしめたことも一度ではない。二度目の降格の恐怖に苛まれ続け、最終節の一つ前にようやく胸をなでおろしたアウェイでのアビスパ福岡戦はわずか3年前だ。

サポーターの個人的な思いが詰まった試合を挙げれば無数になる。初めての観戦。恐る恐るゴール裏へ行った日。恋人を、子供を、両親を初めてスタンドに迎え入れた日。入籍した足でスタジアムに向かった夫婦も一組や二組ではない。

レッズの戦いの歴史である999試合はそれぞれ、誰かの、またはみんなの思い出と共にある。

2014年10月22日(水)。公式戦通算1000試合目は、浦和レッズの歴史と、ファン・サポーターの胸に何を刻むだろうか。
(清尾淳/MDP編集)



浦和レッズ初の公式戦。1992ヤマザキナビスコカップ予選リーグ初戦・ジェフ市原戦に臨んだ先発メンバー(後列左から望月 聡、村松幸典、トリビソンノ、名取 篤、田中真二、土田尚史、前列左からエスクデロ、佐藤英二、福田正博、柱谷幸一、尾崎加寿夫)





当時のスタンドは、応援グッズといえばOSC(オフィシャル・サポーターズ・クラブ)のフラッグぐらい。赤い服を着ている人もほとんどいなかった

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