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コラム「14年前の今日(4月25日)」

1998年の4月25日(土)、浦和レッズはカシマスタジアムで初めて鹿島アントラーズからリーグ戦の勝利を挙げた。

原博実監督が指揮を執り始めた98年のレッズ。期待の新人、小野伸二の加入で盛り上がってはいたが、前年21ゴールを挙げこの年も活躍が期待されていた福田正博が、開幕前のケガで長期の欠場を余儀なくされていた。2トップは3年目の大柴健二を軸として、岡野雅行、永井雄一郎が務めていた。前年の体調不良からようやく回復した福永泰は、原監督がボランチとしての起用を試みていた。

開幕戦、ホームでジェフ市原に3-2と競り勝ち、第2節も大柴の2試合連続ゴールや小野のプロ初ゴールで横浜フリューゲルスに快勝。第5節まで4勝1敗と好調なスタートのように見えたが、内容的には不安が付きまとっていた。特に第5節のアビスパ福岡戦は、2-0とリードしながら1点差に追い上げられ、さらに相手が10人になってから同点にされるという拙い試合だった。延長を含めた56分間で1人少ない相手から決勝点を奪えず、PK戦でようやく勝ちを収めた。

不安が黒星になったのは第6節。この年Jリーグに昇格したばかりの札幌に0-2で敗れた。札幌は当時1勝4敗で、これがJリーグ2勝目だった。続く第7節でも清水に0-2と完敗した。

 迎えた第8節はアウェイでの鹿島戦。当時、リーグ戦でレッズは鹿島に2勝14敗と圧倒的に負け越していた。とりわけカシマスタジアムでは、ヤマザキナビスコカップで1勝と1分けの記録があるが、リーグ戦では7戦して全敗していた。連敗を止めたいレッズにとって歓迎したい試合とは言えなかった。

この試合で原監督はメンバーを変更した。シーズン前に「今季はボランチで勝負」と覚悟していた福永をFWに回し、大柴と2トップを組ませた。そして右サイドハーフに3年目の石井俊也を先発させた。トップ下に小野、左サイドハーフにベギリスタイン、ボランチにペトロヴィッチという中盤の布陣だが、実際には攻撃に行きがちなペトロに代わり石井が中盤の底を務めるシーンが多かった。

この起用が当たった。石井が献身的に動いて相手の攻撃をつぶし、福永が小野をよくフォローすることで、攻撃が多彩になった。開始3分にいきなり失点するがあせらず試合を進め、35分に福永が同点ゴールを決めて前半を折り返した。後半はレッズのゴールラッシュ。2分に小野のミドルシュートで勝ち越すと、4分に大柴がシーズン5点目を挙げ、16分にはベギリスタインがダメ押し点を挙げた。34分にネイハイスが退場になってもスコアに影響はなかった。

カシマスタジアムで初めてのリーグ戦勝利を4-1という大差で飾り、選手たちも大満足だった。初めてリーグ戦で先発した石井は「フル出場はうれしいけど、疲れました。ペトロが前に行くんで自分としてはしんどかったのは確か。9割方守備でした」と語っている。また福永は「今年はずっとボランチのつもりでしたけど、チームとして一番良いやり方を取らないといけないですから、必要とされるポジションでプレーします」というコメントを残している。

サポーターも「“FW福永”の起用で、単調だった攻撃に核ができ、今までにない流れができたようだ」「石井は運動量豊富で判断もパスを出すのも速い。福永や小野の陰に隠れてしまったけれど、勝利に大いに貢献していた」と、新しい布陣に手ごたえを感じていた(当時のマッチデー・プログラムから)。

この試合から石井が先発し、福永が前線に回る形が定着した。結果も第8節以降7勝3敗とまずまずで、第1ステージを7位で終えた。第2ステージからは福田が復帰し、優勝戦線にも顔を出すようになるが、そのターニングポイントになったのが、この鹿島戦だったと言える。
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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